数々の城を擁する古城の国、ドイツ。

ドイツの城と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、バイエルン州にある白亜の城、ノイシュバンシュタイン城ではないでしょうか。

しかし、「ドイツ人の心のふるさと」と呼ばれる、ドイツ史上最も重要な城はほかにあります。それが、バッハ生誕の地・アイゼナハの町を見下ろす山の上にそびえるヴァルトブルク城。

900年以上の歴史を有するヴァルトブルク城は、ドイツで最も保存状態の良い中世城塞のひとつで、1999年には世界文化遺産に登録されました。

・ヴァルトブルク城の歴史

ヴァルトブルク城の歴史は、1067年、テューリンゲンの伯爵ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが建てた城砦にはじまります。現在見られる主要部分は1170年に後期ロマネスク様式で建てられたもの。

17世紀の三十年戦争以降、城は急速に朽ちていきますが、1777年にゲーテによって「発見」されます。ヴァルトブルク城に魅せられたゲーテは、この城を博物館として残すことを提言。それからおよそ半世紀を経て、城の再建が決定しました。

その重厚感あふれるたたずまいはもちろんのこと、13世紀にはワーグナーのオペラ「タンホイザー」に登場する歌合戦が行われ、16世紀にはルターが身を隠したこの城は、ドイツの文化史と精神史においてきわめて重要な場所。

ドイツの文化と精神が凝縮されたヴァルトブルク城は、まさにドイツ文化の源流なのです。

・エリザベートの間

外観は質実剛健な印象のヴァルトブルク城ですが、内部には豪華絢爛な世界が広がっています。目もくらむばかりの色鮮やかなモザイクに目を奪われるのが、「エリザベートの間」。

エリザベートとは、ルートヴィヒ4世の婚約者としてハンガリーからこの地に嫁いできたエリザベート妃を指します。夫を亡くしヴァルトブルク城を去った後、高貴な身分でありながら貧者や病人の救済に尽くした彼女は、病気の治癒で奇跡を起こしたとして聖人に列せられます。

もともとこの部屋にはロマネスク風の歴史画が描かれていましたが、ヴィルヘルム2世の命によって、1902年から1906年にかけてエリザベート妃の生涯を表すガラスのモザイクで装飾されました。

・歌合戦の間

13世紀はじめごろのヴァルトブルク城には、多くの詩人や「ミンネゼンガー」と呼ばれる宮廷恋愛詩人が招かれました。

ドイツで最も有名なミンネゼンガー、ヴァルター・フォン・フォーゲルワイデやヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハらが腕を競い合った当時の様子を題材にしたのが、ワーグナーのオペラ「タンホイザー」です。

「歌合戦の間」では、そんな歌合戦の模様が描かれた大きなフレスコ画を見ることができます。なかには命をかけて勝負に臨んだこともあったという、白熱した戦いぶりがいきいきと伝わってくるかのようです。

・祝宴の間

ヴァルトブルク城のなかでも特に大きく、壮麗な印象を与える部屋が「祝宴の間」。19世紀の再建で現在の姿になったこの部屋は、当時の人々から見た「中世の広間はこうあるべき」という理想を表しています。

バイエルン王ルートヴィヒ2世は、この広間に感銘を受け、ノイシュバンシュタイン城にこの祝宴の間を模した「歌人の間」を造らせました。

優れた音響効果をもつこの部屋は、現在もコンサートや文化催しの会場として使われています。

・ルターの部屋

1521年のヴォルムス帝国議会で破門された宗教改革者のルターは、ヴァルトブルク城に身を隠し、およそ10ヵ月間をこの部屋で過ごしました。

当時は聖職者や貴族にしか読めなかった聖書を庶民にもわかる言葉に翻訳すべく、彼はここで新約聖書のドイツ語訳を完成させたのです。この翻訳は「ドイツ民族の第一の書物」とみなされるまでになり、その後のドイツ語の発展に大きく貢献しました。

この簡素な部屋には、厳しい状況に置かれながらも偉業を成し遂げたルターの情熱が生き続けているかのようです。

ただその姿を目の当たりにするだけでも圧倒されるヴァルトブルク城ですが、900年を超えるその歴史を知って見れば感激もひとしお。

ヴァルトブルク城は、「ドイツで最もドイツらしい城」といえるのではないでしょうか。

Post: GoTrip! http://gotrip.jp/ 旅に行きたくなるメディア