ロドス島を追われた聖ヨハネ騎士団が拠点を置いた、地中海に浮かぶマルタ島。
マルタ共和国の首都で、旧市街が世界遺産に登録されているヴァレッタが有名ですが、ヴァレッタの近郊にも魅力ある観光スポットがたくさんあります。
そのひとつが、ヴァレッタの対岸、海辺に広がる城塞都市「スリーシティーズ」。「スリーシティーズ」とは、その名の通り、ヴィットリーオーザ、セングレア、コスピークワという、隣り合う3つの町の総称です。
3つの町とはいっても、日本人から見れば3つでひとつの町に感じられるほど、それぞれが小さい町。ヴァレッタやスリーマから、日帰りで気軽に足を延ばすことができます。
世界各国からの観光客で混み合うヴァレッタに比べ、のんびりとした空気が漂うスリーシティーズは、気持ちを落ち着けたい日の観光プランにもぴったりです。
スリーシティーズへのアクセスは、ヴァレッタからヴィットリオーザまで、バスで約30分。
あるいは、ヴァレッタにあるスリーシティーズ行きのフェリー乗り場からコスピークワまで、フェリーで5~10分ほど。次のフェリーまで時間がある場合は、フェリー乗り場の近くから出る水上タクシーを利用するのもおすすめです。
スリーシティーズ観光の中心となるのが、ヴィットリーオーザとセングレアの2つの町。
ヴィットリオーザは、1530年、マルタにやってきた聖ヨハネ騎士団が最初に築いた城塞都市です。
当時の首都は内陸のイムディーナにありましたが、騎士団は、オスマン帝国との戦いに備えて、海沿いのヴィットリーオーザを本拠地とすることに決定。天然の要塞ともいえる複雑な地形を利用し、高い防衛力をもつ堅固な城塞都市を造り上げたのです。
そんなヴィットリオーザのシンボルが、港の先端に位置する聖アンジェロ砦。
かつては「海の城」と呼ばれ、アラゴンの領主の居城として使われていましたが、騎士団がやってきてからは騎士団長の住居となり、砦が建設されました。
聖ヨハネ騎士団がマルタを去った後、1800年から180年間にわたって、イギリスの海軍基地として使用されていたこともあります。
大規模な修復作業を経て、2006年に観光スポットとしてオープン。ヨットが停泊する華やかなマリーナや、対岸のセングレアをはじめ、地中海と周辺の町並みを一望できる絶景スポットとして人気を集めています。
なんと、現在も砦の上階は騎士団の管轄下にあり、団員が一人砦に住んでいるのだとか。
マルタにおける戦争の歴史に興味があるなら、「マルタ戦時博物館(Malta at War Museum)」も必見。
ここでは、第2次世界大戦下のマルタの情勢を軍備や市民生活といったさまざまな観点から紹介しているだけでなく、地下に残る防空壕もあわせて見学することができます。
現在のマルタは、戦いの痕跡などほとんど感じられない美しい島国ですが、その戦略的な位置関係から、第2次世界大戦においては枢軸国への攻撃の拠点となり、その結果激しい報復攻撃にさらされたのです。
騎士団時代の大包囲戦といい、第2次世界大戦の爆撃といい、マルタの歴史は戦争の歴史といっても過言ではありません。
マルタ戦時博物館では、日本語のオーディオガイドを聞きながら周ることができるので、英語が苦手でも大筋を理解することができます。
ヴィットリーオーザを観光したら、対岸に広がるセングレアに足を運んでみましょう。
ヴィットリーオーザよりもさらにのんびりとした日常感が漂うセングレア。この町で見逃せないのが、町の突端に位置するセーフ・ヘブン公園にある監視塔ヴェデッテです。
目と耳の彫刻が施されたユニークなデザインが印象的。これは、海を睥睨し、耳を澄ませ、休むことなく外敵の侵入を監視しているということを表しています。
かつての見張り台は、今では対岸のヴァレッタとフロリアーナの町を一望する絶好のビューポイント。ヴァレッタからスリーシティーズへと、フェリーやボートが行き交う地中海の風景は、ずっと眺めていても飽きることがありません。
ヴァレッタやスリーマからの気軽な日帰り旅にうってつけのスリーシティーズ。
マルタを訪れたなら、騎士団がヴァレッタよりも先に建設した要塞都市に足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
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