アイルランドを代表する歴史的建造物がひしめき合う、首都ダブリン。その中心部に堂々とたたずむアイルランド最大の教会が、聖パトリック大聖堂です。

その名の通り、アイルライドにキリスト教を広めた聖人、聖パトリックゆかりの大聖堂で、アイルランド最大の祝日である「セントパトリックスデー(聖パトリックの日)」のパレードの終点にもなっています。

伝説によれば、5世紀の中頃、聖パトリックがこの近くで洗礼を行い、人々をキリスト教徒に改宗していたといいます。

現在見られるような石造りの大聖堂ができたのは、12世紀末に当時の大司教ジョン・コムが建て替えを行ってからのこと。このときの1191年という年号が、聖パトリック大聖堂の正式な創設年とされ、ヨーロッパ各地にある大聖堂のなかでも古いもののひとつに数えられています。

14世紀初めから16世紀初めにかけては、アイルランドで最初の大学として使用されたことも。現在は、ダブリンにあるもうひとつの大聖堂、クライスト・チャーチ大聖堂とともにアイルランド国教会の管轄下に置かれています。

アイルランドを代表する教会だけに、その歴史は波乱万丈。戦争や革命、宗教改革などをくぐり抜け、ダブリンにおけるさまざまな歴史的出来事を目撃してきました。

16世紀には、イングランド王ヘンリー8世の宗教改革によって保有財産を没収されたり、17世紀に起こったクロムウェルのアイルランド侵略の際には、馬小屋代わりに使われたりしたとか。

一時は浸水や財政難から崩壊の可能性もささやかれ、あのギネスの三代目、ベンジャミン・ギネスの出資により、1860年から半世紀以上にわたる大規模な修復工事が行われました。

紆余曲折を経てきた聖パトリック大聖堂は、アイルランドの激動の歴史を象徴しているといえるでしょう。

古色蒼然とした、シンプルな石造りの外観。

それと同様、内部も一見したところ派手さはありませんが、原始キリスト教の墓石や1270年に造られた聖母礼拝堂など、数々の歴史的な見どころが詰まっています。

特に興味深いもののひとつが、北翌廊にある「チャプター・ドア」と呼ばれる木製の古いドア。

これは1492年に、対立していたオーモンドのバトラー家とキルデアのフィッツジェラルド家が争ったときの名残です。

バトラー家が教会に逃げ込んだ後、ジェラルド・フィッツジェラルドがこの扉の穴から腕を出し、両家が握手を交わして和解が成立。この出来事がもとで、英語の「chance your arm(一か八かやってみる)」という表現が生まれました。

この大聖堂にゆかりの深い、有名な作家の存在も忘れてはなりません。

聖パトリック大聖堂の歴代司祭のなかで最もその名が知られているのが、「ガリバー旅行記」を著したジョナサン・スウィフト。

彼は1713年から1745年まで大聖堂の首席司祭を務め、社会の不平等さについて説教を行い、恵まれない人々に手をさしのべました。

入って右側の床下には、ジョナサン・スウィフトと彼の永遠の恋人ステラが埋葬されており、その横にあるショーケースでは、ジョナサン・スウィフトのデスマスクや頭蓋骨のレプリカなどが展示されています。

まさに「質実剛健」という表現がぴったりの聖パトリック大聖堂。派手な装飾はありませんが、内部にあるものひとつひとつをよく見ていくと、すべてに歴史と意味が刻まれています。

ここだけ数百年もずっと時が止まっているかのような独特の空気感は、実際に訪れた人だけが感じられる特別なもの。ダブリンを訪れたら、ぜひ800年を超える歴史に裏打ちされた重厚感にふれてみてください。

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