ドイツ中部に位置するテューリンゲン州の州都であるエアフルト。
町が成立したのは、なんと742年と言われており、その後はテューリンゲン地方の中心として、また中世にはヨーロッパにおける交通や交易の中心地として栄え、この町で多様な文化が花開きました。
歴史あるエアフルトの街は、教会や修道院、礼拝堂が街のいたるところに建設されおり、学生時代をこの町で過ごしたかのマルティン・ルターは、幾つもの塔が空へ向かって伸びる様子を見て「塔多きエアフルト」と表現したほど。
そんなエアフルトのシンボル的存在でもあるのが、町の西側に立つ大聖堂。
その外観は一度見たら忘れることができないほどの壮観さを称え、今も昔も訪れる人々を魅了しつづけています。
エアフルト大聖堂の歴史は、742年に司教座としての教会がこの場所に建設されたことから始まります。
教会はその後12世紀にロマネスク様式のバジリカ(キリスト教がローマ帝国内に広まるにつれて、この建築様式が教会堂に利用されたもので、後にロマネスク建築やゴシック建築にも多々利用されて、大聖堂と呼ばれるようになりました)に立て替えられ、その後、14世紀から15世紀にかけての改装ではゴシック様式の内陣や身廊部分が造られ、大聖堂となりました。
大聖堂内に足を踏み入れると、そこに広がるのは天井の高い広々とした空間。
柱には「聖母の被昇天」をはじめとする、キリスト教における重要な出来事を描いた画が掲げられています。
祭壇の背後にあるステンドグラスは、中世に造られたオリジナル。
高さ約19メートル、幅約2.5メートルのステンドグラスは、中世のものとしてはドイツ最大級を誇ります。繊細かつ色鮮やかに描かれたステンドグラスが太陽の光を受けて輝く様子は、目の前にある壮麗な祭壇にも負けないほど美しいものです。
視線を手前に移すと、祭壇前の左右の壁には89席の立派な聖歌隊席が並んでいます。
ステンドグラスと同様に、こちらも中世からのオリジナル。オークを加工して作られた芸術作品のような聖歌隊席は、中世のものとしてはドイツ国内で最も保存状態が良いと言われています。
このように中世からの変わらぬ姿を現在へと伝えている大聖堂ですが、その歴史の中では様々な戦禍も経験してきました。
1803年から1815年まで続いたナポレオン戦争では、フランス軍によって馬小屋として使用された過去もあります。第二次世界大戦中は直接の爆撃は免れたものの、周囲に爆弾が投下された際の衝撃で屋根やステンドグラスの一部が破壊されました。
そんな戦禍の歴史を辿ってきた大聖堂も、いまは穏やかな佇まいで祈りに来る人々や観光客を優しく迎えています。
手前に広がる広場では野外劇場フェスティバルをはじめとする様々なイベントも開催されているほど、多くの市民にも愛される場所となっています。
エアフルトのシンボルとして沢山の人から親しまれている大聖堂。その壮観な姿は中世の栄華を物語っているかのようでもあります。
Post: GoTrip! https://gotrip.jp/ 旅に行きたくなるメディア