オスマン朝の最初の首都が置かれた、トルコ北西部の街、ブルサ。
この街には、オスマン朝初期のモスクや、オスマン朝初代のスルタンが眠る霊廟などが多く残されており、トルコの歴史を知る上では欠かすことができない重要な街の一つとして、トルコ国内外から多くの旅行者が訪れます。
ブルサの観光名所といえば、セルジューク様式のブルサ最大規模のモスクであるウル・ジャーミィをはじめ、緑のタイル装飾が見事なイェシル・ジャーミィやイェシル・テュルベ、オスマン朝初代スルタンが眠るオスマン廟があるトプハネ公園が有名です。これらのスポットが密集している街の中心部から少し西の方へ足を延ばしたところに、オスマン帝国第6代皇帝によって造られた複合施設があります。
ムラト2世によって造られたこの複合施設「ムラディエ・キュリエスィ」も、古都ブルサを訪れたら見逃すことができないスポットの一つです。
ムラト2世の複合施設には、モスクや霊廟、ハマム、神学校、泉亭などが含まれています。敷地内の各霊廟は解放されているため、自由に見学することができます。
この複合施設の建設は、ブルサのイェシル地区にあるイェシル・ジャーミィの建設が終わった後に始められ、1426年に完成しました。敷地内には全部で13の霊廟があり、ムラト2世のもの、そしてそのほとんどがスルタンの親族のもので構成されています。
最も注目に値するのは、もちろんムラト2世の霊廟です。在位中はバルカン方面でのハンガリー軍との戦いでオスマン軍を勝利に導くなどの華々しい活躍を見せる一方で、イスラム神秘主義に非常に熱心な文化人であったことから、一時は息子のメフメト2世に帝位を譲って隠退していたほど信心深いスルタンでした。
さらに敷地内には、オスマン帝国を最盛期に導いた壮麗王スレイマンの息子であるムスタファ皇子の棺も安置されています。
スレイマン大帝の時代、ハレムでは自分の息子を次のスルタンにすべく女たちの激しい戦いが繰り広げられていました。結局、スレイマン大帝の後継ぎとなったのは、彼とヒュッレム妃の間に生まれたセリム2世でした。ムスタファはスレイマンの血を引きながらも、スルタンの座に就くことはなくこの世を去りました。ムスタファの隣には、ハレムでヒュッレム妃とバトルを繰り広げたムスタファの母マヒデブランも眠っています。
敷地内の霊廟で注目すべきは、オスマン家の血を引く皇族たちの棺はもちろんですが、それぞれの霊廟に施された、細やかな美しい装飾も見逃すことができません。霊廟によって異なるデザインは、オスマン美術そのもの。クルアーンの一節がかかれたカリグラフィー(イスラム書道)や、ブルサを思わせる緑や深い青の艶やかなタイル装飾は、見るものを圧倒します。
ブルサの観光の中心地からは少し離れていますが、市内を走るトラムT1線アルトゥパルマック駅から徒歩でアクセスすることができます。ブルサを訪れたら、緑の多い心静まる「ムラディエ・キュリエスィ」に眠るオスマン帝国歴代のスルタンの霊廟に足を運んでみてはいかがでしょうか。
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名前 ムラディエ・キュリエスィ(Muradiye Külliyesi)
所在地 Muradiye Mah. Halil inancık Sk. Osmangazi/Bursa