5月6日、この界隈では恒例の「日本大学と関西学院大学によるアメリカンフットボールの定期戦」が行われて、日本大学の選手が悪質なタックルを関学のQB(クォーターバック)にし、三週間の腰椎損傷の負傷をしてしまうという問題が起きました。
あまり日ごろアメフトを観ない私ですが、このトラブルは「実際にはプレイが完全に終わって2秒余り経ち棒立ちになっているQBにタックルをかました」という話であって、常識的には悪質なラフプレーであることはよく理解できます。プロ野球でも、まだ捕手がホームベースをブロックできた時代に起きたラフプレーで思わぬ事故で故障してしまいリハビリを余儀なくされた捕手を何人かリアルで知っているので、他人事ではありません。
どうも本件は日本大学アメリカンフットボール部の内田正人監督の指示によるものとされ、また、具体的なタックルの指示と併せて「責任は俺(内田監督)が取る」とまで言っておきながら、肝心の内田監督本人は多忙を理由に取材を拒否し雲隠れしているというあたりに、この話のイケてなさを思うわけであります。
翻って、プロ野球にもイケてない話があり、またサッカー界でもハリルホジッチ監督の不自然な解任騒ぎ、さらには女子レスリングや柔道界のパワハラ問題、話題沸騰した相撲・角界の常識はずれな体罰が横行してきた問題などなど、いわゆる古き良き体育会系指導方針や精神論の世界観と、昨今のコンプライアンスが行き届いた社会環境との間での相克が非常に大きくなってきていると感じる部分はあります。それまでは、指導の一環として体罰があったり、野球でも相手チームの戦力を削ぐ目的で殺人スライディングが横行してきた時期があり、またそういう指示を受けるのはチームの中でももっとも監督の信頼の篤い選手が”拝命”する構造があったりと、なんか戦時中の日本帝国軍と似たようなメンタリティなのではないかと疑ってしまうような事件が連発するのです。
しかも、本件ではその殺人タックルの指示を受け、実行してしまった選手が自主的に退部・引退してしまう、というオチがついてしまいました。さて、この指示を受けた選手は本当に自らの選手生命を断つほどの責任を負うべきものなのでしょうか。もちろん、実行したのはこの選手ですから、咎は負うべきですし、万が一、この選手がタックルした関学QBが再起不能なほどの怪我をしてしまったとするならば、それは本当に刑事事件にもなりかねない一大事であることは言うまでもありません。
一方で、これは絶対的とも言える体育会の監督から下された指示を、自らの判断で曲げることが困難であったという弱い選手の立場をどこまで考えるのか、ということでもあります。いわゆるアイヒマン実験と言われる、忠実な部下が狂った上司による「特定の人々はガス室送り」としたときにマズいと知りつつ命令に従う心理は、一般的にどこの組織にでもある程度、普遍的にあるものだと思うわけです。ブラック企業然り脱税経営陣然り、人間仕事をしていると「ヤバい状況とヤバい指示」は往々にして発生します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミルグラム実験
組織というものは、時として如何に残酷で、どうしようもないことを引き起こすかを教えてくれるように思いますが、スポーツマンシップ(スポーツマン精神)は組織と統制の名の下に人事権を持つ監督に対して隷従しやすくなるものであることはよく承知しておく必要があると思うのです。アマチュアであれプロスポーツであれ、試合に出て初めてパフォーマンスを発揮し能力を示せる世界であり、その試合に出られるか出られないかは、監督以下首脳陣の選手評価によるものである限りは作戦や行動の指示に従わないことが選手にとって非常に残念なプレッシャーを感じさせるものなのでしょう。
そして、実際には企業においても会社組織の指示系統の中で同じ問題は容易に発生し得りますし、組織内でモノを申せない風土が起こすスキャンダルというのは往々にしてこの問題と同一の構造で似た現象を引き起こすことは疑いがありません。
怪我をしてしまった関学QBは残念であるにしても、さてこの指示を受けて殺人タックルをしてしまった選手からアメフトを奪うような判断を強いることが、本当に社会にとって正しいのでしょうか。
また、まだ大学生である選手に対してこのような指示を出し、責任を自らが負うと言いながら取材から逃げ回る監督は、どう制裁されるべきなのか。あるいは、このような監督を擁してきた日本大学のアメリカンフットボール部は存続させるべきなのか、実はこの問題を見る側に、その哲学と重い課題を突き付けているように感じる事件だと思います。