人口減少、人口の都市部への集中のあおりで、日本の村々は過疎化高齢化が進んでいる。

少しでも村に活気を取り戻そうと、村おこしのイベントが開催されることも多い。群馬県嬬恋村では村おこしに「妻の手しごと」というブランドを立ち上げて、名産品であるキャベツを加工した商品を販売している。

「嬬恋キャベツ酢」はキャベツを2ヶ月間熟成させて作ったお酢。そしてお酢を使って作ったのが「愛妻ダー」である。愛妻とサイダーをかけ合わせている。「愛妻ダー」に描かれているのはヤマトタケルだ。嬬恋村はの名前は、ヤマトタケルが「ああ、わが妻よ、恋しい」と嘆いた場所だと言われているのだ。

僕は2017年の夏に、中国の南部に旅行に行った。桂林でガイドと合流し、玉林を取材。またガイドと桂林に戻ってきて、漓江くだりを体験した。

漓江周辺には古い村が多い。到着地点の場所も、そういう古い村の一つだった。

ただ、雰囲気は良いのだが完全に観光地化されていた。商店が並んでいる。

「今は中国では明清時代からある古い村は観光地として再開発されています。私の知っている村も多くが観光地になってます。私の友達が住んでいる『朗梓村』はまだあまり観光地化されていません。行きますか?」

と言われた。僕が一番に好きなのは、スラム街や裏通りなのだが、古い村もそれなりに好きだ。せっかくここまで来たのだから行ってみることにした。

ガイドがやとった自動車で移動する。運転手はなんか悪っぽい人で、自動車もちょっといかついドイツ車だった。

ちなみに中国で走っている車はオーソドックスなブランドが目についた。つまり、トヨタ、ベンツ、ワーゲンである。

桂林の市街地からはからはかなり南に進んでいく。

到着すると、かなり新しい建物が目についた。建築中の建物もある。話が違う。

「ここも少し観光地化が進んでいますね。でも村の奥の方は古いままです。行ってみましょう」

と言われて進んでいく。確かにすごく古い建物が見えてきた。350年以上の歴史があるという。

日本は江戸時代の頃である。水戸黄門こと徳川光圀が水戸藩主になったのが1661年だ。

そんな時代からずっと建っていた村だ。何より良いのが、まだ人が住んでいる所である。家の中からは炊事の煙が上がっていたし、納屋からはニワトリがバサバサと飛び出して来た。

古い村に無理やり現代の設備を通しているのも良い。古い建物の横に置かれた古びたパラボナアンテナや、壁だけになった建物の跡に直接腕金を取り付け電線を引いていたり、歴史的に価値がありそうな壁に赤いスローガンをペンキで書いていたりする、そんな「雑な風景」が僕の個人的趣味にはたまらないのである。

ただし僕が好きな風景は、景観を汚しているとして地元の人にも、観光客にも評判は良くないそうだ。

写真を撮っていると、ブライダルドレスを着た花嫁とタキシードを着た花婿が階段から降りてきた。え? とあっけにとられていると、シャッター音が聞こえる。どうやら、雑誌の撮影をしているようだった。確かにこの村の景色は、写真の背景としてはもってこいの場所である。

ウロウロと歩いていると、ケラケラと笑いながら走る女の子がいた。10歳くらいにも見えるし、成人しているようにも見える、不思議な子だった。

声をかけられたのでついていく。

古い建物の中に入ると、いかにも好々爺というお爺さんがいた。笑いながら、世界地図を指差す。どこから来たのか聞いているようだった。日本を刺す。

「日本は数年前に女性の旅行客が来たよ。とても良い人だった。もし良かったら写真を撮ってくれないか?」

と言われたので、一緒に写真を撮った。撮った写真は額に入れて飾ってあったので、今朗梓村に行ったら、僕の写真もあるかもしれない。

お爺さんは、資料館を作っているそうだ。清時代の部屋を再現したり、休憩どころを作ったりしていた。

でも一番大きいポスターは、領袖風采(リーダーのスタイル)と描かれた毛沢東の絵だった。なんか違うんだよなあ……と思う。

村一番の塔に登ることができた。

てっぺんからは、村の全貌が見えた。明清時代当時の街並みがそのまま今も残っている。

村は塀でぐるり囲まれている。他の民族の攻撃に備えてのものらしい。それとは別に高い塀が村の中に建てられている。それらは火事が起きた時、類焼を防ぐためのものだという。

わざわざ旅行に来てよかったな、と思った。

そんな感じで僕の中国南部の旅行は終わっていった。

僕は6月に向かったのだが、この時期は雨季なのでやめておいた方が無難だ。僕は運が良いことに一度も雨に降られなかったのだが、僕が玉林を観光している時、桂林は土砂降りで道路が冠水し、数人が亡くなっていたのだ。

年中温かい地域なので、冬に行くのが良いのではないだろうか?