オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたのが1995年である。12人の死者と数千人の負傷者を出す大惨事になった。オウム真理教の教祖である麻原彰晃こと松本智津夫が事件を起こしたのは、彼が40歳の時である。現在は63歳になっている。

若い人たちにとってオウム真理教の事件は、歴史の授業で聞く過去の話だ。感心も薄れていると聞く。それを嘆く声もあるが、それはそうである。僕も自分が生まれた年に起きたあさま山荘事件にはなんの興味もわかなかった。

ここにきて、いよいよ麻原彰晃はじめオウム信徒たちの死刑執行が行われるのではないかと噂されている。死刑執行に反対する人たちも現れ喧々諤々な有様になっている。この記事が配信された時にはすでに死刑が執行された後の可能性もある。

オウム真理教の事件では、様々な人物が登場した。上祐史浩、村井秀夫、荒木浩、などは当時連日テレビに登場し注目を集めていた。

そんなオウム真理教のメンバーの中で、“逃亡者”として注目を集めていたのが菊地直子だ。1989年に18歳で入信した生え抜きのオウム真理教信徒である。マラソンが得意で、爆発物の原材料を運んでいた疑いがあったため“走る爆弾娘”というあだ名で呼ばれていた。マスコミさては楽しんでるな。

地下鉄サリン事件のサリン製造プロジェクトに関与したとして警察から特別指名手配されたのが1995年である。その後、名古屋、京都、埼玉、川崎と逃走生活を続けた。

そして相模原で逮捕されたのが2012年である。実に17年に及ぶ逃亡生活である。なかなかスリリングな青春である。

結局、逮捕から三年後の2015年、無罪判決が出ている。2007年からは、男性と一緒に住んでいたのだが、彼は犯人蔵匿罪で逮捕されている。懲役一年半、執行猶予五年である。結局無罪になった女性を匿って、前科者になってしまったのはかわいそうな気もするが、まあ青春映画みたいで楽しそうではある。

というワケで、彼女たちが逮捕された相模原の住居に行ってみた。

一番近い駅が横浜線の相原駅で、そこから徒歩一時間かかる。田舎町である。とは言え、マンションは建っているし、きれいな一軒家も多い。そこそこ綺麗な物件に暮らしてたんじゃないの? と思いながら現地に向かう。

近所まで来たので、通行人に話を聞くと、不審がりながらも場所を教えてくれた。誰に聞いても、逮捕されるまで存在も知らなかったと言っていた。それはそうだろう。自分家の近所にオウムの逃亡犯がいるとは思うまい。

そして逃亡先にたどりついて驚いた。想像以上にボロッボロの建物だったからだ。天井は壊れて骨組みがむき出しになり、壁のトタン材にも穴が空き中が丸見えになっていた。二階へ続く木製の階段が見えるが、いかにも壊れそうなほど劣化している。

これはボロすぎる。質素な生活をしていた方が目立たないとは言え、これはボロすぎる。こんな廃墟のような場所から人が出てきたら、それだけで疑いの目を向けてしまう。

入り口には『私有地につき無断での立ち入りを禁止します』の張り紙が貼られていた。

物見遊山でやってくる人たちがたくさんいたようだ。

結局、この建物をとっておいても得がないと判断したのか、現在は取り壊されて更地になっている。

逮捕の直接の起因になったのは、同棲していた男性が親族に相談していたからだという。最後の敵は味方なんだなあ。

逮捕された時の様子を見ると、このあばら家の周りをズラリと警察官が取り囲んでいた。

結局、ふたりとも刑務所には行かずにすんだが、その後どうなったのだろうか?

彼らの証言により、菊地直子と共に逃亡してた過去のある高橋克也も逮捕された。

オウムの逃亡犯は全て逮捕された。

僕はこんな田舎にはもう来ることはないだろうなと思い、その場を後にした。

しかし2016年7月26日、菊地直子の潜伏先から10キロほど離れた場所で事件が起こる。日本を震撼させた相模原障害者施設殺傷事件である。僕は再び相模原に向かったが、これはまた別のお話である。