自民党総裁選候補・石破茂(61)が自身の「石破茂総裁選特設サイト」で不自然な「離党歴隠し」をしていることがネット上で話題となっている。
石破茂総裁選特設サイト
http://www.ishiba.com/sousaisen/
同サイトにアクセスすると、まず出てくるのが「正直、公正、石破茂」の文字。28日に自民党の吉田博美参院幹事長から「野党と同じだ」と抑制を求められたあのキャッチフレーズだ。ところが、石破のプロフィールに正直さも公正さも無かった。
略歴として生年月日や出身地から、入学した大学や入社した銀行までディテールが記載されているが、なぜか「離党」についての記述がどこにも見当たらないのだ。これは彼の公式サイトでも同じで、細かい当選歴や大臣就任歴が誇らしげに書かれているが、政党変遷については書かれていない。
石破氏が離党したのは93年。細川連立政権が誕生し、自民党が野党に転落した。石破はその際に自民党の政治改革関連4法案への方針に反対したことから役職を停止処分を受けると、森喜朗幹事長に「こんな党にいても何もできない」と啖呵を切って自民党を離れている。
そこからは、石破は転々とした流浪の遍歴を重ねる。まず「改革の会」に参加、さらに「自由改革連合」を経て、94年に小沢一郎らと「新進党」の結党に参加している。だが、石破は党首選挙で羽田孜元首相に付き、小沢と対立。小沢が党首になると「安全保障政策に失望した」と新進党を離党した。そして、無所属で当選を果たすが、自民党に風向きが変わると石破は臆面なく自民に復帰している。
裏切り、そして出戻り。これが総裁選にとって不利と判断したのだろうか。自民党員や40代以上の人なら知っていることだし、Wikipediaにも載っているのになぜ今更隠すのか。「書いていないだけで嘘はついていない」とも言えるが、正直、公正を掲げる人物のやることではない。だが、石破の反省を紐解くと、さらなる「裏切りの政治家人生」も浮かび上がってくる。
■角栄を裏切った政治家デビュー!? 麻生も安倍も裏切っていた?
そもそも石破は、父の友人であった田中角栄から目をかけられ「最後の教え子」とも言われていた。なのに、ロッキード事件後に角栄の影響力が落ちると、中曽根派に鞍替えし立候補している。石破は7月、そんな角栄の墓にマスコミを引き連れて「先生の思いは受け継ぐ」と総裁選出馬を報告してきたというから驚きである。
また、石破は09年に麻生内閣の閣僚・農水相であったにもかかわらず、「麻生おろし」に加担する”裏切り”を見せている。与謝野馨議員とともに両院議員総会の開催を求める署名に石破農相が名を連ね、麻生太郎首相に直接面会して退陣を迫っている。これはモリカケ騒動の「安倍おろし」の際も同じで、求心力が落ちると、途端に他人事のように「なんか自民党、感じが悪いよね」と朝日新聞で語っていたのも記憶に新しい。正面から戦うよりも「後ろから撃つ」のが得意なのか。
いまや石破氏の味方は、野党と反安倍マスコミが中心。石破支持を表明しているのは、小林よしのり、香山リカ、青木理、玉川徹、室井佑月、蓮舫、玉木雄一郎とかなりリベラル寄りである。産経新聞とFNNの最新世論調査(8月27日)でも、石破が総裁にふさわしいと思う人は、自民党支持層から「21.8%(安倍66.4%)」、立憲民主党支持層は「63.6%(安倍9.3%)」と野党人気が圧倒的。いっそこのまま、自民党から「離党」した方が良いのではないだろうか。