マルタ共和国の首都にして、世界遺産の街ヴァレッタ。
この街の建設が始まったのは、聖ヨハネ騎士団がオスマン帝国軍と戦った1565年の「大包囲戦」に勝利してからのことです。
激戦の末、キリスト教徒の砦の島を守り抜いた騎士団にはヨーロッパ各地から莫大な寄付が集まったこともあり、騎士団はさらなる難航不落の要塞都市を築くべく、新たな街の建設に着手しました。
完成は1571年。その都市は、当時の騎士団長であったジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットにちなんで、「ヴァレッタ」と名づけられます。
マルタにおける騎士団の黄金時代を物語る街並みは、「ルネッサンスの理想都市」と称され、1980年には「ヴァレッタ市街」として世界遺産に登録されました。
マルタを訪れる旅行者の多くが宿をとるスリーマ地区。そこからフェリーに乗れば、ヴァレッタまでの短い船旅がはじまります。
堅固な堡塁と城壁に囲まれたヴァレッタの姿は、まさに海に浮かぶ要塞島。「こんな風景が21世紀に残っていたなんて!」と驚くほど、ほかのどの街にも似ていない独特の景観が見る者を魅了します。
東西1キロ、南北800メートルと、一国の首都としてはずいぶんこぢんまりとした印象のヴァレッタ。しかしながら、この街には街歩きの楽しみがぎゅっと詰まっています。
港からヴァレッタの街へと足を踏み入れると、あっという間に別世界にやってきたような気分になることでしょう。
坂の多い立体的な地形、通りの両側に建つハチミツ色のマルタストーンで造られた建物、「ガラリア」と呼ばれる色とりどりの木製の出窓・・・どこか北アフリカを思わせる独特の街並みは、ここがヨーロッパとアフリカのはざまであることを物語っているかのようです。
ヴァレッタの旧市街を代表する建物の多くは、聖ヨハネ騎士団の時代に建てられたもの。
その代表格が、街の中心に建つ聖ヨハネ大聖堂です。聖ヨハネ騎士団の守護聖人である洗礼者ヨハネに捧げられた聖堂で、1577年に騎士団の建築技師のジェローラモ・カサールの設計で建てられました。
外観こそシンプルな造りですが、その内部は言葉を失うほどに豪華。天井は洗礼者ヨハネの生涯や騎士団長などが描かれた絵画で彩られ、床はさまざまな銘や絵が表現された大理石のプレートで覆い尽くされています。
身廊の左右には、騎士団を構成していた言語別・出身地別の8つのグループそれぞれの礼拝堂があり、絵画や彫刻などで豪華さと美しさを競い合っています。
完成当初は簡素な内装だったものの、17世紀に現在見られるような華麗なるバロック様式に改装されました。この目もくらむばかりの豪華な空間を目の当たりにすれば、当時の騎士団がいかに財力と権力をもっていたかが肌で感じられるはずです。
聖ヨハネ大聖堂に加え、騎士団長の宮殿や聖エルモ砦など、騎士団ゆかりの地を訪ねながらの街歩きが楽しいヴァレッタ。
坂が多いために一見道がややこしく感じられますが、実は規則正しく通りが整備されていることに気づくでしょう。敵の襲撃があった場合などに備え、騎士たちがすぐに沿岸に駆けつけられるようにと、京都のように碁盤目状に道路が整備されたのです。
宗教騎士団が建設した街だけあって、街のあちこちに教会やキリスト教の聖人の像が。
狭い路地を歩いていると、時間が止まってしまったかのように感じられるヴァレッタの街並みは、どこを切り取っても絵になります。このさい地図はバッグにしまって、気の向くままに小路に入り込んでみたくなることでしょう。
今も騎士団の足跡が残る一方で、1800年から160年以上続いたイギリスによる統治の影響も見られます。
街の中心の広場には、イギリス風の赤いポストと電話ボックス。街を歩けば、イギリス風のパブも見つかります。
今の美しい街並みからは想像しにくいですが、地中海の真ん中という戦略上の要衝に位置するマルタは、他国からの侵略や攻撃を受け続けてきた国。イギリス統治時代、第二次世界大戦下でマルタは海軍の拠点となったため、枢軸国からの爆撃にさらされました。
ドイツ軍の空爆で破壊されたロイヤル・オペラ・ハウスは、現在も完全な修復は行われず、廃墟を生かした野外劇場として保存されています。
紆余曲折の歴史を経て、今も騎士団が築いた遺産を守り続けるヴァレッタは、2018年の欧州文化首都に選ばれました。
現在は、世界遺産の街として世界各地から訪れる人々を魅了し続けるヴァレッタ。
美しく力強い街並みを見ていると、苦難の時代すらもその一部として取り込んで、輝きに変えている。そんな気さえするのです。
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