「ベトナムの京都」とも称される、中部の古都フエ。1802~1945 年にかけては、ベトナム最後の王朝であるグエン朝の都が置かれ、宮廷都市として繁栄しました。
グエン朝時代の王宮や歴代皇帝の帝陵からなる「フエの建造物群」は、1993年、ベトナム初の世界遺産に登録。現在も、グエン朝の栄華を物語る歴史遺産として輝きを放っています。フエ中心部に建つ王宮は有名ですが、郊外にも個性豊かな建造物群が点在していることは、あまり知られていません。
フエの王宮から南へ約9km。のどかな田舎の風景のなかにたたずんでいるのが、カイディン帝陵。「帝陵」とは聞きなれない言葉ですが、簡単にいえば皇帝のお墓。グエン朝第12代皇帝・カイディン帝の墓所です。
1920年から、カイディン帝の死後6年が経過した1931年にかけて建設された、カイディン帝陵。
建設のために税金を20%も上げたことから、国民から多大な反感を買い、現在もカイディン帝の不人気ぶりは健在なのだとか。しかし、観光スポットとしてのカイディン帝陵はフエでもトップクラスの人気を誇っているのですから、皮肉なものです。
フエ新市街の南、郊外のフォーン川沿いには、歴代皇帝の陵があり、それぞれの人柄や時代背景を物語っています。
中国の影響が色濃い歴代皇帝の帝廟のなかで、このカイディン帝陵は異色の存在。中国とフランスの影響を受けた折衷様式の陵で、「超」がつくほどユニークな建物なのです。
森に囲まれた静かな場所に、突如として現れるカイディン帝陵。フランスから輸入した高価な鉄筋コンクリート製で、アジア的ともヨーロッパ的ともいえる独特の姿に引き込まれます。
ゲートをくぐり、長い階段をのぼった先には、ヨーロッパ風の塔があるかと思えば、中国風の役人やゾウ、馬の石像が。皇帝の功績が書かれた碑石が置かれている碑亭に施された龍の瞳には、フランスワインの瓶が使われています。
フランス統治下で、フランスに擁立されたという背景も手伝って、カイディン帝はフランスに対して融和的でした。1922年に開催されたマルセイユ殖民博覧会に出席してからはさらにその傾向が強くなり、自身の陵をバロック様式で建設するよう命じたのです。
先代の帝陵と比べると規模こそ小さいものの、装飾の豪華さは抜群。入口から120段の石段をのぼったところに建つ啓成殿に足を踏み入れると、アジア各地から集められた瓶や陶器の破片で飾られた豪華な空間に息を呑みます。
四季を表現した壁面のモザイクには、なんと日本のビール瓶が使われたものも。目を凝らして、「SAKURA」と記された破片を見つけてくださいね。
これにも増して圧巻なのが、カイディン帝像が鎮座する奥の部屋。
躍動的な龍の絵と、豪華絢爛な天蓋が天井を彩り、壁面は色とりどりのガラスと陶器の破片で埋め尽くされています。装飾は龍や鳥など、さまざまな動植物がモチーフで、見ればみるほど遊び心満点。
カイディン帝は派手好き、新しい物好き、おまけに無宗教だったため、東西のさまざまな建築様式や宗教の様式が混在した、奇抜な建物が生まれたのです。この空間を見れば、カイディン帝が「人と違うこと」にこだわる性格だったことがうかがえますね。
天蓋の下に鎮座する皇帝の像は等身大で、表面は金箔で覆われ、黄金色に輝いています。カイディン帝はグエン朝の歴代皇帝のなかで唯一埋葬場所がわかっている皇帝で、像の下では、カイディン帝が永遠の眠りに・・・
帝陵建設のために20%も税金を上げられた当時の国民からすればたまったものではありませんが、今となっては、カイディン帝陵、は世界のほかのどの建物とも違う、唯一無二の建築物。情緒あふれる王宮とはまったく異なる、カイディン帝の奇抜な世界観を体感してみませんか。
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