江戸時代の文化や人々の生活を伝えるカルチャーパーク「江戸ワンダーランド日光江戸村」(栃木県日光市)にて2023年12月2日、「EDO-SATOYAMA プロジェクト」による桜の植樹式と、「一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団」と「江戸ワンダーランド 日光江戸村(以下、江戸ワンダーランド)」との姉妹森の覚書締結に伴う調印式が行われた。

里山は人によって必要な手入れがされ健全に育った森をさすが、その里山と共に生活した江戸の人々の生き方の復活を目指す「EDO-SATOYAMAプロジェクト」は江戸ワンダーランドと2020年に亡くなったC.W.ニコル氏との共同プロジェクトで、2017年に地元保育園の園児たちを招き、C.W.ニコル氏、「EDO WONDERLAND 日光江戸村」のユキリョウイチ代表とともに桜(エドヒガン等)の苗木50本の植樹を行った。50本の苗木は順調に育ち、この冬、江戸ワンダーランドへの移植が開始される。

植樹式では、ユキ代表、一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団の森田いづみ理事長そして2017年に苗木を植えた保育園児(当時)ら子どもたちらの手によって、50本の苗木のうちの1本が江戸ワンダーランドの敷地内へ移植された。残りの苗木も同敷地内へ順次移植される。

あいさつのマイクを持ったユキ代表は「C.W.ニコルさんが2017年の植樹式で『木を植えるということは未来を信じることだ』とおっしゃいました」と述懐。C.W.ニコル氏の里山復活への想いを語り、「日本には荒れ果てた森があまりにも多いです。これからも荒れ果てた森に手を入れて木を植え続け、みなさんが幸せな人生を生きていける社会を作っていきたいですし、この江戸ワンダーランドの森を、その象徴となる森にしていきたいと思っています」と今回の移植に寄せた想いを語った。

参加者たちに向けて「年明けには皆さんが里親となった桜の木も敷地内にすべて植樹します。2017年の植樹式のときにもみなさんにお願いしたのですが、みなさんは一生ここを自由に出入りしてください。入場料はいりません。みなさんの名前の付いた木がある森に遊びにきて、いつか自分の子どもが産まれたら『これお母さんの木よ』って教えてあげてください。今来て頂いているお母さんたちもおばあちゃんになりますが、お孫さんを連れてきてこの木と一緒に人生を歩んで行って欲しいです」と呼び掛けた。

森田理事長は「2017年にみなさんが植えた木がこんなに大きくなったのですね」と桜を見上げ、「ニコルは江戸ワンダーランドが大好きだったので、たぶん今日ここにニコルの魂が来ていると思います」とC.W.ニコル氏を偲んだ。

森田理事長は続けて「(江戸時代の日本に開国を迫った米軍人の)ペリーが日誌に『日本は美しい庭のような国だ。人々は大人も子どももみんな笑って幸せそうだ』と書いていました。当時、江戸は100万人都市で、世界で100万人が住める大都市はどこにもなかったのです。どうしてそんなことが可能だったのかというと、近くに里山と豊かな海があったからです。里山の落ち葉を肥料にして野菜を作ったり、榾木でキノコを栽培したり、山菜を獲ったり、果物を獲ったりしました。江戸の食糧自給率は100%です。豊かな食料と水と燃料があったから100万人が江戸に住めたのですね」と、C.W.ニコル氏とその想いを受け継ぐ財団が理想とする江戸自体の人々の生き方に触れた。

「残念ながら今、里山は見捨てられてしまい、森は荒れ果ててしまっています。でも、江戸ワンダーランドは一生懸命、里山を復活させ、江戸の良さを伝えようとしています。これからも江戸ワンダーランド 日光江戸村のことをよろしくお願いします。そして、この木にも会いに来てください」と江戸ワンダーランドの活動を高く評価し、参加者にメッセージを送った。

姉妹森の覚書締結に伴う調印式は、ユキ代表、森田理事長、江戸ワンダーランドの全社員が集まって行われ、ユキ代表と森田理事長の間でサインが交わされた。締結された覚書では、文化、教育、公共の利益を視野に入れ、双方の森林の管理、運営、生態などについての情報交換や人材の交流を進め、共に手を組んで地球のために健康な森を育んでいくことが約束された。

森田理事長は「心から嬉しく思っています」と覚書が締結された喜びを語った。日本が明治時代のわずか数十年で近代化を成し遂げた背景には江戸時代に育まれた文化水準や技術力の高さなどがあったことを指摘したうえで、「江戸時代は本当に豊かで、優れた時代です。その時代の人々の生き方や文化を多くの方々に伝えていってください。みなさんが取り組まれていることは本当に素晴らしいことです。ぜひ、誇りを持ってこれからもお仕事をなさってください」と江戸ワンダーランドの社員たちにエールを送った。

ユキ代表は「世界の中では森がどんどん見直されています。森を軸に次の世代に向かおうという動きもあります」と現在の潮流に触れた。「ニコルさんの思いでもありましたが、日本中にアファンの森が広がっていくことを願っています。日本中に広がるということはアジアにも広がるということです。今私たちが取り組んでいるということは、日本人が世界をリードしていることだと言っても構わないと思います。森田理事長のお言葉にもありましたが、ぜひ、誇りを持って仕事をしてください」と呼びかけた。

【アファンの森とは】

一見緑に覆われているように見えながら生態系としてのバランスを崩してしまった森を日本の美しかったかつての森に戻したいとの思いが高まっていたころ、C.W.ニコル氏は、自身の故郷ウェールズで石炭の採掘とその後の廃坑のため荒れ果てていた森が緑を回復しようと動き始めた人たちの手によって蘇り、「アファン森林公園」(Afan Forest Park/国立公園/「アファン」とはウェールズ語で「風の通るところ」)になったことを知る。

C.W.ニコル氏が居を構えた長野県黒姫は、戦前に周辺の原生林はすべて伐られスギやヒノキの人工林となるも、約40年以上にわたり放置され「幽霊森」と呼ばれていた。1986年。C.W.ニコル氏は地元の林業家松木信義氏の力を借りて荒れ放題だった森の間伐を行い、一本一本に養分が行き渡り、充分な陽の光が当たるようにした。その後も手入れを重ね、豊かな恵みをもたらす森として蘇っている。

C.W.ニコル氏が勇気をもらった故郷の森に因んで、黒姫の森が「アファンの森」と名付けられた。