イタリアとの国境にほど近い南フランス、コート・ダジュール地方の町・マントン。かつては漁業とレモン栽培で生活していたこの町は、毎年2~3月には世界的に有名なレモン祭りが開催される「レモンの町」として知られています。

そして、もうひとつマントンを有名にしているのが、20世紀に「時代の寵児」とよばれたジャン・コクトーゆかりの地の存在。

1889年、フランスのパリ近郊の町、メゾン=ラフィットに生まれたコクトーは、詩人、小説家、劇作家、画家、映画監督などとして、幅広い分野でその才能を発揮しました。

パリで華々しく活躍していたコクトーでしたが、60歳ごろからパリやパリ的なものに対する違和感や疲労感を覚えるようになり、あまたの芸術家たちに愛された南仏に足を向けるようになります。

「豪奢と素朴が同居する」マントンの旧市街に魅了されたコクトーはたびたびこの町を訪れ、海辺にたたずむ要塞を人生の集大成ともいえる作品をおさめた美術館へと造り変えました。

この要塞美術館をはじめ、コクトーの作品が堪能できるスポットが3つもあるマントンは、コクトーファンなら一度は訪れたい「聖地」のような場所であるといえるでしょう。

・要塞美術館(旧コクトー美術館)

17世紀に建設され、町の防衛を担っていた海辺の要塞。もはやかつての役割を失ったこの要塞を見て、コクトーはこの建物を美術館に転用することを決めます。

コクトー自身が要塞の改修と装飾の指揮を執ったことで知られ、外壁や床を飾る小石のモザイクもコクトーの手によるものです。

オープンしたのはコクトーの死後、1965年のこと。建物の脇には「私は、あなた方とともにいる(Je reste avec vous.)」という一文が刻まれた碑が置かれています。

その言葉通り、こぢんまりとした美術館ながら、コクトーの遺志を体現した空間からは、彼の息づかいが聞こえてくるかのよう。館内には、晩年の作品の一部と、絵皿などの陶芸作品が展示されています。

窓際に展示されている作品のバックには、海やマントンの町並みが広がり、「自らの作品とともにマントンの風景を楽しんでほしい」というコクトーの思いが伝わってくるかのようです。

・ジャン・コクトー美術館

要塞美術館とはうって変わって、モダンな外観が印象的なジャン・コクトー美術館(ジャン・コクトー美術館セヴラン・ワンダーマン・コレクション)は、コクトー収集家として有名な実業家、セヴラン・ワンダーマン氏のコレクションをもとに2011年にオープンしました。

ベルギー生まれのセヴラン・ワンダーマン氏は、世界有数のコクトーコレクションを築き上げましたが、それらをコクトーの故郷であるフランスに戻し、後世に受け継ぎたいと考えたのです。

その候補地として名乗りをあげたのがコクトーゆかりの地であるマントン。フランス文化省の後押しもあって、2005年に990点のコクトー作品と840点の関連作品の寄贈が実現。2008年に新しいジャン・コクトー美術館の建設が始まり、その3年後に晴れて開館の運びとなりました。

館内では、デッサンや絵画、原稿、写真、映像、オブジェにいたるまで、幅広いコクトー作品とその関連資料が展示されています。

「美女と野獣」「オルフェの遺言」など、コクトーが手掛けた映画を鑑賞できるコーナーもあり、多方面で活躍したコクトーの多才ぶりを余すところなく紹介しています。

ちなみに、要塞美術館とジャン・コクトー美術館のチケットは共通。一見まったく異なる性質をもつ新旧の美術館は、まさに「ふたつでひとつ」のコクトー美術館なのです。

・市庁舎の「コクトーの結婚の間」

婚姻当日、カップルが婚姻の宣誓を行う市庁舎の結婚の間。ここでは、1957年から1958年にかけてコクトーが手掛けた特別な作品を目にすることができます。

壁と天井いっぱいに描かれた幻想的な壁画が見る者を別世界へといざなうこの空間は、当時の市長からの依頼によって実現しました。壁画や天井画はもちろんのこと、ドアや照明、鏡、椅子にいたるまですべてがコクトーの手によるものです。

正面に大きく描かれているのは、若い漁師とその新妻の顔。新婦はマントン特有の帽子をかぶり、新郎の目は魚の形をしています。

横の壁面には昔ながらの結婚祝いの場面や戦いの場面が描かれており、現実離れしたどこか神話的な雰囲気をたたえています。

日本人カップルでもここでの挙式が可能なのだとか。コクトーの世界観に包まれて結婚式ができたら、一生の思い出になるに違いありませんね。

コクトーが晩年に長期滞在したマントンは、いまもジャン・コクトーの魂が生き続ける場所。コクトーの珠玉の作品の数々と、彼にインスピレーションを与えた美しい風景に会いに行ってみませんか。

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