文豪ゲーテゆかりの地を結ぶドイツの観光街道、「ゲーテ街道」のハイライトとなる町がワイマール。
ゲーテがその生涯のおよそ3分の2を過ごした、ゲーテに最もゆかりの深い町です。ゲーテが住んでいたことで盟友シラーをはじめ多くの著名人が訪れ、ここに古典主義が花開きました。
そんな輝かしい歴史を物語る町は、「ワイマール:古典主義の都」として世界遺産に登録されています。
1775年、26歳のときゲーテはワイマール公国のカール・アウグスト公に招かれ、この町へとやってきます。
翌年には「ガーデンハウス」と呼ばれるイルム公園内の小さな住居を与えられ、ワイマール公国の最高政治機関であった枢密院の参事官として鉱山の開発や道路建設、教育や芸術の振興といったさまざまな事業に携わりました。
1782年には中心部にある立派な館へと引っ越し、1832年に亡くなるまでの50年間そこに住み続けたのです。
ゲーテはワイマールについて、「これほど小さいにもかかわらず、これほど素晴らしいもののあるところが、一体どこにあるだろう」と語っています。
ワイマールのシンボルが、国民劇場とその前に立つゲーテとシラーの像。
ゲーテの「ファウスト」やシラーの「ウィリアム・テル」が初演された国民劇場は、1919年にワイマール憲法が採択されたドイツの歴史上きわめて重要な場所で、ワイマールの文化と政治の中心としての役割を果たしてきました。
そして、ワイマール最大の見どころのひとつが、ゲーテが人生の大半を過ごした「ゲーテの家」。1707~1709年にかけて建てられたバロック様式の邸宅で、ゲーテは33歳のときにガーデンハウスからここに引っ越してきました。
現在、ゲーテの家は博物館として一般に公開されていて、ゲーテの書斎や図書室、居間、台所、寝室などを見学することができます。
パステルイエローの外観をした邸宅の内部には、淡いブルーやグリーン、ピンクに塗られたエレガントな部屋の数々が。絵画や彫像などで彩られた空間からは、ゲーテの芸術への関心と高い美意識がうかがえます。
ゲーテが暮らしていた当時の様子そのままに保存された空間からは、ゲーテの息づかいが聞こえてくるかのよう。
入口の床に「SALVE(ラテン語で「ようこそ」の意味)」の文字が書かれた黄色の間は、ゲーテが客人を迎えた場所。この入口は、家主であるゲーテが奥から出てきたときに身長が高く見えるよう工夫されているのだとか。
書斎は「魔王」や「ファウスト」などの名作が誕生した部屋。ゲーテは事務仕事は座ってこなしたものの、小説は「そのほうがはかどる」と、立ったまま執筆にあたったといいます。
ゲーテの家のハイライトが、ゲーテが息を引き取った寝室。「ファウスト」を書き上げた翌年の1932年、ゲーテはベッドの脇にある肘掛け椅子でその生涯を終えました。
享年82歳。ゲーテが臨終の際に残した「もっと光を」の言葉はあまりにも有名です。
ゲーテの家の隣には、モダンな造りのゲーテ国立博物館が併設されており、11の展示室で「愛」「世界」など、テーマごとに分けられたゲーテの遺品や関連資料が展示されています。
著述はもちろんのこと、政治や地質学、植物学、生物学、光学など、ゲーテがいかに幅広い分野に取り組み、その才能を発揮していたかに驚かされることでしょう。
それと同時に、あまたの恋を経験したゲーテの人生は、私たち誰もがもっているようなきわめて人間的な感情をのぞかせます。
類まれなる天才でありながら、どこか親しみを感じる人間性も、ゲーテが死後180年を経てなお敬愛されつつけるゆえんなのではないでしょうか。
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