高橋洋一・嘉悦大学教授の新作『財務省を解体せよ!』(宝島社新書)は、題名からして剛速球だ。そしてそれはズドンと日本の本当の問題に気付いている人たちの心に響く。

その昔、ある高名な評論家が、私に「日本を本当に支配しているのが誰かがわかった」とつぶやいたことがある。それは正確にいえば「誰」ではなく、組織であり、またそこに群がる人たちのことでもある。もちろんそれは財務省のことであった。

最近の財務省のトップによるセクハラ疑惑とその辞任劇、そして理財局と近畿財務局という組織そのものが関与した文書改ざん問題、さらに今も懲りずに繰り返す「財政危機」というフェイク(嘘デタラメ)を利用した増税の宣伝工作。よく政治家の方が財務省よりも優位であり、財務省よりも政治家の責任が重く、財務省は悪くない、というデタラメな話がある。高橋氏の新著を読めば、財務省は歴代政権でさえも、消費増税や自分たちの政策を利用するひとつの道具でしかないことがよくわかるだろう。まさに財務省は日本国に巣食う最悪の寄生虫である。

高橋氏によれば、財務省が増税を目指すのは自分達の利益になるからである。つまり予算編成権などでさらに権力をふるえる余地が生まれるからだ。この国民の血税を利用して、財務省官僚たちは、自らの虚飾に満ちた「権限」を強化していく。例えば、最近では、東京金融取引所のトップに旧大蔵省(現在の財務省)出身者が五代続いて就任する。完全なる「天下り」というか財務省の植民地である。しかもこの人物の経歴をみると日銀理事と金融庁幹部も歴任している。

90年代後半の大蔵省スキャンダルという不祥事で、当時の大蔵省は社会の批判を浴び、その権限から金融監督行政の権限を奪われ、それは金融庁となって財務省から「独立」した。また日本銀行も法律が改正され、これも政治つまりは財務省の権限から隔絶できるような地位を与えられた。しかし20年近く経過して金融庁、日本銀行ともに人事面を含めて財務省とのつながりは最強化され、再び植民地化している。

ちなみに旧大蔵省、財務省ともにそこに務める人間の知的レベルをあまりにも世間は髙く評価しすぎである。偏差値や公務員試験での合格と、その後に官僚たちの行う行政のパフォーマンスはまったく因果関係はない。例えば財務省が主導する「財政危機」を理由にした緊縮増税路線が、日本を20年にも停滞させたのは自明である。まだこの単純な事実を理解できない人は、心の中に「小さな財務省」でも巣食っているのだろう。

■マスコミが財務省が擁護する理由とは?

高橋氏の指摘にもあるが、日本のマスコミの「スクープ」のほとんどが官僚発のリークである。その意味で、マスコミと官僚たちは利害関係者である。特にいまのような時期では、「消費増税しても対策はばっちり」とか「消費増税しても景気はそんなに悪くならない」というマスコミと財務省のコラボが大展開中である。増税志向の政治家たち、とくにポスト安倍を狙う政治家たちもまたこのような増税脳とでもいうべきスタンスである。財政状況は、あくまでも民間の経済活動の結果でよくもわるくもなる。つまり我々が働くことで実現するのだ。財務省の目論見にしたがうのではない。この基本的なことさえも財務省は理解していない。その実例は高橋氏の著作に実に豊富だ。

このような財務省の「おごり」をどうすべきか。高橋氏は長年、歳入庁を設置して、税金と年金など社会保険料の徴取を統合的に行う機関にすべきだと主張している。私も賛成だ。これにより国税庁という財務省の植民地であり、また税の調査権限という政治家さえも恐れる権力を財務省からとりあげることになる。ただし歳入庁には財務省に一年でもいた人は正規・非正規のポスト含めて一切ノータッチにすべきだろう。金融庁と日銀の経験がそれを教えている。また今回の文書改ざん問題をうけて、高橋氏は「公文書管理庁」の設置も提案している。それに日本銀行の目標を増税目的など財務省の思惑に左右されないように、雇用の最大化と物価の安定に寄与するよう改正すべきである。

またこれは私見だが、トップがセクハラスキャンダルで辞任、そして組織の一部がまるごと関与した文書改ざんなど、財務省の体質は民間であればまさに「ブラック企業」そのものである。そんなところがぬけぬけと今年も国家公務員試験などで若い有能な人材を国家の権限として採用する。国民の厳しい視線をうけ、その体質改善も具体的でない今、今年の採用及びここしばらくの同省の採用は制限すべきである。それでは人材育成に弊害がでるという指摘があるだろう。なにを言っているのだろうか?「弊害」というペナルティを課すために行うべきなのだ。

それで仕事ができないなら、他の省庁の下部組織にでもなって人材を貸してもらえばいいだろう。だが、この財務省という「ブラック企業」は今日も健在で、「天下り」や増税指南に元気である。まさに国家の寄生虫そのものである。