石破茂氏が自民党の総裁選に立候補を正式に表明した。自民党の総裁はそのまま日本の総理大臣になるだろうから、この総裁選は政治的に重要なだけではなく、日本経済の行方にも極めて重大だ。
石破茂氏の憲法観、安全保障の見解などは、最近出版された『政策至上主義』(新潮新書)にまとめられている。もちろん経済政策についての見解も明瞭に述べられている。すでに筆者は何度か石破氏の経済政策について、それが基本的に日本の経済停滞の対処法について極めて深刻な誤認をしていること、端的にいえば積極的な金融緩和政策への否定的評価を中心に問題視してきた。
この『政策至上主義』の議論を読んでも、石破氏の認識には基本的な変更はないようである。ただしより鮮明になっているのは、アベノミクスの成果を一定程度認めるというスタンスを採用していることである。
例えばアベノミクスにより、円安が実現し、それが輸出産業を潤すことで株価の上昇にも結び付いたという指摘をしている。以前は、アベノミクスの第一の矢である金融緩和政策については、それがハイパーインフレをもたらす危険性を指摘し否定的だったのだが、さすがに今日の経済状況をみて石破氏もこの程度の“妥協”はせざるをえなかったのだろう。
もちろん石破氏にとってはアベノミクスが基本的に否定すべきものであることはかわらない。円安、株高になっても、「しかし、実は売り上げは伸びていませんし、賃金も上がっていません。だから「実感がない」と言われるのです」(同書、131頁)、また有効求人倍率も上がっているがそれは団塊の世代の大量退職による「構造的な人出不足」であると指摘している。
この「構造的な人手不足」論は、実は石破氏にとっての「我が国の経済・財政が抱える根本的な問題」につながっている。この「根本的な問題」とは、石破氏によれば「三百年後に四百二十三万人になる」と予想される人口減少である。この人口減少が「根本的な問題」として、いわば構造的に存在している。この人口減少によって「構造的な人手不足」が発生している、と石破氏は考えているのである。
■石破氏は日本経済の売上高や賃金の動向を事実誤認している?
ここまでだけでも相当に経済認識で間違っていると断じざるをえない。まず日本経済全体の「売り上げ」を、最新の経済センサス・活動調査(平成28年)で確認すると、平成27年(2015年)では、全産業売上高1603兆4638億円、付加価値額294兆7949億円であった。他方でこれを前回調査の平成24年(2012年)の調査と直接比較すると、全産業売上高1302兆2523億円、付加価値額242兆6658億円である(統計調査の手法に違いがあることに注意は必要)。
この数字をみると石破氏のいったように売上高が減少しているどころか、むしろ大幅に増加している。また賃金の動向をみてみると、名目賃金(全産業の現金給与総額)は現状で21年5か月ぶりの前年比3.6%という大幅上昇である。この名目賃金の伸びを反映して、実質賃金も同じく21年ぶりとなる2.8%の増加となって表れている。失業率の低下や有効求人倍率の上昇など雇用の改善が名目賃金の増加になって結実しているわけだ。
実質賃金は、名目賃金を物価水準で割ったもので、現在の物価水準がデフレではないにしても低い水準であるために、実質賃金が高くでているという指摘はあるだろう。だが、仮に物価水準の変化率を前年比2%でとった場合でも、やはり実質賃金は1.6%の増加であり高めの水準であることは変わらない。しかもデータを素朴にみれば、名目賃金については2017年後半から上昇傾向にあり、また同じく実質賃金の上昇トレンドを生み出しやすくしている。
石破氏が『政策至上主義』で提起した売上高や賃金動向の見方は、彼の誤解であるか、または最新のデータを認知していなかったのかもしれない。
■石破氏が主張する「構造的な人手不足」にまつわる誤解
さらに深刻なのは、「構造的な人手不足」についての認識である。これについては典型的な反アベノミクス論者の誤謬といえるものである。人口減少で「生産年齢人口」(15歳以上65歳未満の人口総数)が減少しているのは確かである。石破氏はこの構造的な要因が人手不足を生み出しているというのである。
だが、この点を見るには他に重要な3つの指標をみる必要があるだろう。「労働力人口」(15歳以上で働く意思がある人たちの総数)と「就業者数」(実際に収入を得ることができる職についている人たち)、そして「完全失業者数」である。
例えば、生産年齢人口が減る中での、民主党政権と安倍政権の雇用状況の違いをみてみよう。民主党政権でも完全失業率(労働力人口に対する完全失業者数)は実は低下していた。だが他方で、就業者数はまったく増加していなかった。つまり景気が悪くて、実際に働こうと思っても職場が見つからずに働くのを断念した人たちが膨大に存在するのである(求職意欲喪失者という)。
だがこの状況は、安倍政権の時代にはっきりと変化する。安倍政権発足後は、職探しを断念していた人たちが景気の良さに戻ってくることで、労働力人口が増加する。さらに重要なのはこの労働力人口の伸びをはるかに上回る形で、就業者数が増加し、結果として失業率の低下やまた有効求人倍率の著しい伸びが実現している。
もし石破氏のような「構造的な人手不足」が現状の失業率の低下などの原因だとしたら、民主党政権時でも同様の傾向がみられたはずである。だが実際には人口減少に同じように直面していても、民主党政権では雇用環境の著しい悪化ゆえに失業率が低下!していたのである。
ちなみに石破氏の雇用観はしばしば民主党政権の時代の方が経済・雇用環境がよかったとする主張にかなり似ている。与党の代表(候補)が野党勢力の過去の経済政策を間違って高く評価してしまわないことを祈りたい。
■石破氏に取り憑いた「緊縮主義の亡霊」
では、「構造的な人手不足」ではないならなにが原因か。それは石破氏が否定したがっているアベノミクス。特に事実上、金融緩和政策の貢献に他ならない。
もし石破氏がいまの日本経済を改善することを真剣に願うならば、いまのアベノミクスのいいところ(大胆な金融緩和政策の継続)を採用し、その欠陥(消費増税方針などに象徴的な財政緊縮スタンス)を修正することである。
だが、石破氏にはせいぜい消費増税への慎重姿勢しかなく、彼の意識は行財政改革など要するに財政規模の縮小=緊縮主義に向かっているのではないだろうか? アベノミクス以前の日本経済を停滞させたのが、小さな政府を目指す行財政改革や構造改革などにあまりにもとらわれてしまい、経済停滞の真因であるデフレを解決してこなかったことにある。石破氏は、デフレを軽視する論者がしばしば採用する財政・金融政策は「カンフル剤」であり、根本的な問題を解決するものではないといっている。
本当に過去の緊縮主義の亡霊である。このような経済政策観の持主が日本の総理になれば、日本経済は再び停滞に陥るかもしれない。