「天皇陛下萬歳! 萬歳! 萬歳!」


拡声器から放たれる大音量の声はビルの間をこだまして響き渡る。整然と立てられた「日の丸世直し」の幟と大きな横断幕。そしてはためく御国の旗・日の丸。それらを前に隊列をなす男たち。機動隊の行動服に倣った群青色の隊服を着用した男たち。

台風が過ぎた博多の街。帰省客で賑わうお盆の博多駅。終戦の日であるにも関わらず、普通の生活には無関係とばかりに過ぎ行く人々。あからさまに耳を塞ぎ迷惑そうに歩く人々。中には立ち止まり、熱心に聞き入る人も相当数見られる。

今も日本全国で見られる「右翼」のいる風景。

こんにちは! チバレイです。

まだまだ残暑が続くようですがお盆も過ぎ、虫の声が聞こえてくると、どこか秋の訪れを感じてしまいます。


8月15日終戦の日。福岡県護国神社の戦没者慰霊祭に参列して参りました。蝉時雨と祝詞を奏上する声のみが聞こえる、本当に厳粛な御祭りでした。祝詞に使われるやまとことばの何と雅やかなこと、何と威厳あることでしょう。神社と祭式、そして私たち日本人。この綿々と続くありがたい関係性もまた、日本の国柄をこと成す一つだと思います。皆さん、進んで神社の祭典に参加してみては如何でしょう。

ところが、宮崎県延岡市の神社の御神木をめぐり残念な事件が起こりました。何者かが穴を明け、こともあろうか薬剤を注入。為にくすの木の半分が枯れてしまったというのです。

御神木は神々を宿す神聖なるものです。その御神木に穴を開け、除草剤を入れるなんて神をも畏れぬ行為、不敬な行いに強い憤りを感じます。同時に信仰心とモラルの低下がここまでひどいことに不安を覚えます。残念なことですが性善説を捨て、あらゆることを想定した上での神社仏閣の厳重な警備体制が望まれます。


それにしても日本の神々の恐ろしさを知らないとは…。「触らぬ神に祟りなし」必ずや神罰が降るでしょう!

福岡県護国神社の慰霊祭、正午の黙祷を終え余韻覚めやらぬ間に博多駅へと移動します。そこでは護国神社でご一緒した後、韓国領事館に抗議に向かった大日本愛国党九州連合会の皆さんが、街頭演説会を開催されていたのです。その際皆さんと一緒に記念写真を撮りツイッターに載せたところ、パヨクと自称保守(?)からの勘違いコメントに怒り心頭! ならばと、反論する意味で今回コラムの筆を取った次第なのです。

■反社会的勢力の党員はいない!? 戦後右翼のなりたちと現代「右翼」の実態

大日本愛国党は昭和26年、公職追放解除を機に赤尾敏氏(故人)を総裁として設立結党された政治団体です。数奇屋橋の演説、社会党浅沼党首暗殺、三木首相殴打事件といった過激な運動で有名な「右翼団体」といった方が解りやすいかもしれません。

戦後一貫して天皇陛下を中心とした道義国家の形成維持、つまりは「国体の護持」を訴え、戦後米国の意向で作られた現行憲法を否定、日本人による憲法の制定を広く呼び掛けています。また独立国としての「自衛軍備・自主国防体制の構築」「共産主義撲滅」等を、時に過激な行動を伴いながら70年近く「日の丸世直し運動」として実践してきた行動右翼なのです。

その九州各県本部の連合体が大日本愛国党・九州連合会で、その会長を務められるのが生野英信氏(71)です。昭和46年から赤尾敏総裁の薫陶を受け、47年間も右翼一筋でこられた方なのです。毎週日曜日に行う街頭演説は422回を数えたそうで、その一念たるや想像するに難くありません。

こう書くと何やら眼光鋭い怖い方を想像してしまいますが、実際にお会いした生野氏はとても礼儀正しく、物腰軟らかい紳士なのです。御自身を常に律し、奥様と二人慎ましく暮らし、その暮らしと人生のすべてを愛国運動に捧げておられます。

対峙する勢力には常に言論を以て戦うを旨とされているそうですが、昔は左翼からの攻撃がひどく、時に乱闘を繰り広げることもあったと聞きます。そんな歴戦の闘士、右翼という生き方を体現された生野氏の元には多くの若者が集まっています。

もちろんその中に「反社会的勢力」とされる党員は一人もいません。正確には党員になれないのです。全員が会社員や所謂勤め人として生計を立て、党費を出しあって活動に充てています。


純粋に愛国運動・右翼運動を行う団体、つまり我が国の大多数の右翼団体・民族派団体は、同様に会費を徴収して健全に運営されているのです。


噂されるような「黒い資金」が流れてきてるとか、日当が出るなんて話は一度も聞いたことがありません。いつの時代のお話でしょう。機関誌を押し売り同然に購読料を徴収したり、電話で高額な本を売りつけるとか、企業を恐喝したりするのは「社会運動標榜ゴロ」っていう犯罪集団の手口です。これらは時に右翼、またある時は同和等を騙ります。

全国の警察は管内の右翼団体構成員の情報を素晴らしく(笑)収集しています。何かしらの不穏な動きがあるとすぐ連絡がきますし、時には自宅訪問まであるとか。「昭和の時代とは違う。今や右翼だからこそ身を正し犯罪行為はご法度だ」と、皆さん口を揃えて言います。

■大衆を遠ざける、戦闘的なイメージを持つ”行動服”が持つ意味とは?

それからよくいわれる「特攻服」… もうね、何ですか! 暴走族を右翼にオーバーラップさせる悪意ある表現としか思えません。「行動服」「隊服」と言うのが正しい名称です。機動隊の制服に倣った紺色のものが一般的で、普通の方でも購入ができます。その様が暴力的で戦闘的なイメージを作るのに一役買っているようですね。

先日は、自衛隊の制服に拒絶反応を示し、地域イベントを中止に追い込んだ共産党市議たちがいたくらいですから、いたしかたないのかもしれませんね。

そもそも右翼は広く民衆から受け入れられるよりは恐れられる存在であろうとした訳ですから、当然の結果なのだと思います。それよりも毎年8月15日に軍装コスプレで靖国に出没される集団こそ「不敬」であると感じますが、皆さんはどうお考えになりますか?

元々右翼は左翼と違って大衆運動とは真逆の運動形態を旨としてきました。戦前の血盟団による右翼テロで「一人一殺」「一殺多生」という言葉が広まりました。この言葉は当時の時代背景や右翼の立ち位置、更には悲壮な覚悟までを言い表しており、何ともいえない気持ちになります。

■「街宣右翼は在日朝鮮人」説、「右翼は暴力団」説の真相とは?

さて、インターネットの普及によって現代人は様々な恩恵にあずかってきました。同時に「悪意」ある情報もたくさん存在し、それら歪曲した情報によって歪な知識を得てしまうことも多くあります。

 たとえば「右翼の正体」なるサイトは以前から知っていましたが、改めてその悪意と思い込み・勉強不足に呆れてしまいます。

有名なのは「街宣右翼は在日朝鮮人だ」とする説。過去に右翼が起こした事件を取りあげ、その中から在日の活動家の名前のみを列挙しています。そしてそれを見て金科玉条のように思い込み、ことあるごとに「朝鮮右翼w」とする書き込みが多く見られます。


昭和20年代の後半から実に多くの「反共」を掲げた団体が我が国に誕生したことはご存知の通りです。昭和35年の60年安保闘争をピークに、世は赤旗革命前夜の様を呈していたのですから。当然軍事政権下の韓国に至っては38度が防共ラインだったわけで「反共」は国是だったのです。

それに呼応し在日の韓国人たちが「アジアの民族」として「反共」運動を展開、日本の右翼団体と連帯することは何ら不思議なことではなかったのです。東西冷戦下での日韓にまだ会話が成立してた時代の話です。もちろん現在も右翼として名を連ねる在日の方はおられます。日本に住んで日本の天皇陛下を敬い、その日本の国旗・国歌を大切に思うことのどこがおかしいでしょうか。

それから「右翼は暴力団」とする説。これは、一部事実です。実際に「任侠右翼」とされる団体がありますから。しかしながら、例え暴力団であっても天皇陛下の名の下に等しく臣民であり、その臣民が愛国心の発露から右翼運動に取り組むことは全くおかしなこととは思えません。「下劣な反日勢力の暴力に対して正義の鉄鎚を下す任侠の右翼!」ということも、戦前戦後には普通にあったようです。

暴力団の隠れ蓑に政治結社が利用されることは昔からあります。しかしながら運動を続けるうちに、いつしか心身共に民族運動に身を投じ、本業(?)を辞めていかれるケースも多々あるとか。そうでない団体を警察当局は「社会運動標榜ゴロ」として違った意味で監視しているのです。


■自らを語らず国事に奔走した右翼は「新たな時代」をどう迎えるのか

これまで右翼は自身について多くを語らずにきました。中には棺桶まで持って行くような大事件に関係することもあったと聞きます。そして目的の為には暴力をも厭わず「肉体言語」として敵対するものを徹底的に攻撃してきました。

あの厳めしい街宣車も、怒声も「右翼が来たら面倒だ」と為政者・権力者に思わせる為でした。万が一不正が明るみに出たら右翼テロにあうと。それほどに右翼は時の政界・経済界を睨み、時局を厳正に批判してきたのです。そして、それ故に右翼は恐れられてきたのです。とはいえ、それも今は昔の話のようですが……。

右翼には左翼と違って思想上の「教典」がないといわれます。右翼は「情」で動くと。なるほど、解らないでもないです。しかし我が国では教育勅語、開戦と終戦の勅語で天皇陛下おん自ら日本人が歩むべき「道」をお示しになられました。同時に古事記の神々の国生みは日本人の大本と言えます。国士を自認する人たち、右翼とされる人たちの教典として十分なものではないでしょうか。そこから十人が十色の解釈と情を以て国の為に挺身していくべきだと思うのです。

間もなく平成の御代も終わります。

激動の時代を名もなき民として国事に奔走した、所謂右翼といわれる人々。強い思いと覚悟を以て、世間から白眼視されることも厭わず信ずる道をひたぶるに歩んだ功績は決して称えられることはありません。時代は変わり、同じ右派・愛国運動の機運として一部ですが右翼と「行動する保守」の連帯も見えてくるようになりました。

右翼運動の「変わらない・変えない」こと「変わるべきところを変える」ことはある種の自己矛盾を生じさせることもあるでしょう。それでも新しい時代に向けた右翼のあり方、時代に沿った後進の育成が必要に思えてなりません。 

かつて私は「森垣秀介門下・民族の意志同盟」で国を愛すること、そのために行動すること、そして人間的成長を遂げる努力の尊さを学びました。否、今もって学びの中にいます。「左翼からの転向」とみなされても仕方なかった私を受け入れ、勉強の機会を与えてくださった森垣委員長には今でも感謝していますし、短い期間ながら薫陶を受けた者としての自覚を忘れてはいません。

御茶ノ水で毎月第二・第四日曜日に行われる「民意同」の街頭演説、初めてマイクを握らせて頂いた日の感激を生涯忘れることはありません。