前回、連帯ユニオン関西生コン支部「武健一」と表記しましたがニンベンのない「武建一」が正しく、先ずはこの場をお借りして訂正させていただきます。ニンベン、つまり「人」が無いことから「人でなし」と陰口を叩かれていた武建一容疑者は9月18日、大津地方検察庁より逮捕容疑の恐喝事件で起訴がなされているようです。

現時点での警察当局からの発表がなく「らしい」との書き方にならざるを得ません。通常では勾留期限の切れるギリギリまで警察署に身柄を置き、起訴すると拘置所へと移動させます。別件での再逮捕も十分に考えられますので今のところ発表待ち、成り行きを静観するのみです。また同日、今度は大阪府警が連帯ユニオン関西生コン支部の関係者16名を逮捕との第一報を受け、いよいよ「終わりの始まり」を実感しています。

今回の恐喝事件は労働争議の名を騙って繰り返し行われた組織犯罪の、氷山の一角に過ぎません。今後の再逮捕・再々逮捕は十分に予測できることです。全面的な解明に向け、更なる捜査・取調べが続けられていますが、お伝えした通り、滋賀県警以外にも和歌山・奈良・京都・大阪の警察当局が其々別件での捜査を継続中です。

その全てについて逮捕・起訴がなされ、実刑判決が出されたとして、現在76歳である武建一が生きて罪を償うことはできるのでしょうか。荒稼ぎした100億ともいわれる金銭の行方、特に政治家と様々な反日活動への資金提供についての解明に、大きな期待が寄せられています。

予想通りですが、マスメディアは連帯ユニオン”連帯労組”に関して報道しない自由を絶賛発動中です。最終的に『政治家への不正献金!』なんて事に発展した時、どんな報道がなされるのでしょうか。同時にどこまで蜥蜴の尻尾切りがされるのか? 事の成り行きをしっかり見届けていきたいと思います。


こんにちは! チバレイです。

さて、先日からフジテレビの番組で子供タレントを「仕込み」で使い、安倍首相を貶めるかのような発言をさせた件が「やらせ」であるとネット上で騒がれています。更には番組ホストである池上彰氏の過去の情報収集の仕方を「問題あり」と告発する流れにまで発展しているのは皆様ご存知の通りです。

各界の知識人や言論人とされる方々が苦労して入手した情報を番組内で「池上彰の情報」として放映し、情報元の名前は出さないという「パクリ制作」「つまみ食い報道」に対して怒りの告発が起こっているのです。

一人、また一人と同様の不愉快な依頼や取材を受けた人々が名乗りを挙げ、今では何と【イケガME-TOO】といわれるほどに騒ぎが大きくなっています。ネット上では池上氏と番組制作サイドに対して大きな批判が起こり、未だに終息の気配すら見られません。

今回の件で「何でも知ってて、それを誰にでもわかりやすく説明する池上彰」という存在は、番組制作スタッフによって作られた虚像であることが露呈してしまったのです。

つまり「池上彰が番組で言ってたから」と情報を鵜呑みにさせるシステム、そのアイコンとしての池上彰だったわけです。視聴者は家庭で短時間テレビを見るだけで、難しい社会情勢や政治について学べる…そんな便利なシステム(番組)とアイコン(人物)を求める潜在的な需要は確かにあったでしょう。それは見事に供給されることで人気を得ることに繋がったのです。


■パクリを生むテレビの構造に「麻痺」した池上氏

池上氏といえばNHKの記者を皮切りにジャーナリストとして活動を行い、大学教授としても活躍するほどの方です。あのトークや的確な説明は素晴らしいものですし、そんな池上氏が人様の情報をつまみ食いする必要があるとは考えられません。しかし……。

芸能界を含むメディアの世界では人気という目に見える結果が全てです。そして人気が上がると露出が増え、ギャラはうなぎ登りに上がります。もちろん本人のキャパを越えた露出は当たり前になります。

番組で紹介する情報は「池上彰の情報」として自らが番組制作に携わっている体(てい)で成り立っていますが、そこまで取材したり調査したりすること、ましてや同時にかなりのスピードで著書を執筆することは時間的・物理的にも難しいと考えます。そこで思いつくのは「番組制作のためなら万事許される」という局側・制作サイドの悪しき慣習。早い話が他所の権威ある情報やコメントを寄せ集め「パクって」池上氏に解説させれば「番組的に成功!」「モラルよりも視聴率!」「第一楽ちんじゃん!」ということなのかと。

今回の騒動では池上氏が直接関与した話も晒されており、メディア業界の体質に「浸かってしまった」もしくは「麻痺してしまった」のだと考えざるを得ません。そして何よりも、自身の名声と人気とを引き換えに、ジャーナリストとしての誇りを売り払った池上彰氏…それでも今後もメディアという虚像の中で生き続けるのでしょうね。


メディア側の要求に応えることは、世間的に人気を得ることと同様に大切なこととされています。例えばテレビ局が意図することを汲み取り、自らの言葉として情報発信をする。そんな司会者やコメンテーターが多く存在します。むしろそんな人物しか生き残れないのも現実です。

バラエティー番組を進行する上でも進行台本は存在します。この進行台本(以降は台本とします)は大まかな流れが記されており、司会、コメンテーターと現場のD(ディレクター)、AD(アシスタント・ディレクター)と入念な打ち合わせが行われます。その際に局の意向、スポンサー筋の希望が提示され、意を汲んだ多才なる司会が誘導し、同じく有能なコメンテーターに至っては、局の意向をまるで我が意見かの様に発言するのです。一事が万事こんな状況ですから、スポンサー筋(CM提供だけとは限りません)に都合の悪いことや人物をやり玉に挙げるくらいはお手のものでしょう。この夏【メディア・リンチ】という言葉が起こったこと、決して忘れる訳にはいきません。

今回の子供タレントに発言させたケースもそうです。そもそも子供タレントは親、それも母親の熱心な思いがあってこそ。全国ネットで我が子が台詞を喋り、しかもズームアップされる! となれば大喜びで親子共に一生懸命になります。その台詞がどんな意味合いを持つか? なんてことは微塵も考えないでしょう。

皆が持ち帰ることができる台本には子供タレントの発言に関して記入はされません。恐らくADが別紙に簡単に台詞を書いて渡す、もしくは口頭で伝えるくらいのことだと思います。そうやって子供に現職の総理大臣を貶めさせ、世論を誘導しようとする卑劣なやり方、メディアの「我こそ正義」的な勘違いには憤りを通り越し、憐れみすら感じます。今回の子供タレント本人には、これを機会に顔を売って出るくらいのバイタリティーを見せて欲しいと思います。

■テレビはいつ世論誘導の装置に変貌したのか?

私が芸能界にいた当時、いくつかのバラエティー番組でお仕事をいただいていました。【クイズ年の差なんて】は、昭和から平成にかけて人気を誇ったクイズ番組でした。アダルトチームとヤングチームに別れ、アダルトには若い世代に関する問題、ヤングにはアダルト世代の問題が出されるというフジテレビ制作の番組。「バッチグー」「アウトオブ眼中」なんて言葉が紹介されると、放映翌日にはそんなギャル語を使うおじ様達が現れ、大いに顰蹙を買ったとか(笑)! 私は番組終盤、最後の半年間の出演でした。


もちろんこの当時は事前に解答を知らされることは絶対ありませんでした。常に全問正解する出演者!なんてあり得ないことでした。アダルトチームは大御所とされる方が多く、現場の安定感と心地よい緊張感は、未だに記憶から消えることはありません。ヤングチームも新進気鋭のタレント揃い。ボケとツッコミ、イジリといった関西のお笑いのノリもまだ関東ではさほど定着しておらず、司会の桂三枝師匠(当時)・山田邦子さんによる絶妙の機転は、突発的に解答者から珍言動を引き出し、笑いを取りながらも最後には爽やかな余韻を残してエンディング…といった昔ながらの王道的番組作りが行われていました。

今現在のメディアの世界、特にテレビ業界がどうなのか詳しくは知りません。私が芸能界にいたのは20年以上前のことですから。しかし、昔からお付き合いのある関係者とお話しすると決まって「あの頃のテレビは作る側も見る側もとにかく面白かった」と、嘆きとも愚痴ともとれるお話に終始します。ニュース番組・ワイドショー・バラエティー…かつては全て視聴者を意識した健全な「娯楽性」つまりはエンターテインメント性が番組作りの根底にあった様に思います。

ところが今や、局側・制作側の意向を織り混ぜながらの世論誘導を目的とした「プロパガンダ放送」と、それを隠すかのようなお笑い一辺倒、グルメ一辺倒の番組ばかり。そこに知性や品性が欠落している様に思えてなりません。「視聴者を馬鹿にしてませんか?」「それとも視聴者を愚民化させたいの?」と言いたくなるレベルです。

ミレニアムといわれた2000年(平成12)辺りを境にマスメディア・テレビ業界は徐々に変貌を遂げてきた様に感じます。「今思えば」ですが… 平成14年(2002)からは日教組が提唱した「ゆとり教育」が実施されました。同年には悪夢ともいえるサッカーワールドカップ日韓共催が。このサッカー共催から我が国では「嫌韓」が起こりました。

更に平成15年(2003)には地デジ放送が三大都市圏で開始。平成17年(2005)にはニッポン放送(フジサンケイグループ)株を巡って攻防が行われました。平成20年(2008)韓国に李昭博政権誕生。「我々はすでに日本を征服した。フジテレビが証拠だ」と発言したといわれています。

これ等の出来事を理論的に結びつけることは「陰謀論」的な展開になりそうですね(笑)! 今や一介の主婦である私にはそれこそ「無理ゲー」です(笑)!

原因あっての結果です。テレビ業界含むマスメディアは、一部偏狭な思想の下で自らの首を締め続けています。今や多くのテレビ(新聞も!)離れに歯止めを掛けることは難しいでしょう。そしてその役割はネットに取って変わられようとしています。役目を終えようとしているマスメディアは、それでも良識的な「拠」として残る道はあったはずです。開き直ったかの様な偏向報道と歪曲・歴史修正を繰り返すその様はまさに「裸の王さま」ですね。