去る10月25日から27日まで安倍首相は支那中共を公式訪問しました。平成24年の首相再登板以降、日支2国間の枠組での訪問は初めてだそうです。
先ず驚いたのは支那中共の国賓待遇での歓迎ぶり。マスコミは挙って昭和54年からの対支ODAを「日本からの経済協力が支那の発展に大きく貢献した」と評価し更には「感謝する」とまで。それまでの反日報道から一転した論調には「何があったの?」と困惑してしまいました。
更に日支2国間では今後【競争から協調】【脅威ではなくパートナー】【自由・公正な貿易体制】を目指すといいます。
『極めて高度な外交を目の当たりにしているとでもいうのでしょうか?もしかして藁をも掴もうとする支那中共のいつものやり口なの?いやいや、全てを理解した上で敢えて我が国が乗っている「ふり」をしてるだけ…』
なんて、私の頭の中では様々な憶測が飛び交います。それでも日支両国は過去進めることの無かった次のステージへと向かうようなのです。
こんにちは! チバレイです。
歴史的役目の終了を理由に対支ODAを打ち切ったことは遅きに失する感はあるものの、喜ばしい知らせでした。これまで我が国からのODAと、様々な経済援助は7兆円を越えるといわれています。経済大国となった支那中共にお金を出す理由なんて、とうの昔から無かったのです。
ところが! 今回新たに3兆円規模という【日支間スワップ】の取り決めがなされました。正直、今までのODAとは規模も違えば性格も異なります。リスクを抱え込むことになりはしないか? という大きな不安を覚えています。
支那中共が主導する【一帯一路】政策に日本の資金と技術が提供されることは明らかです。今回の訪問によって、両国で第3国へのインフラ・物流・金融を共同で行う52件もの合意書が交わされたそうなのです。当然日本企業にとっても有益なことなのでしょうが、対外的には支那中共の保証を意味することにもなりかねません。
安倍首相の訪問で「元の友好国」レベルに戻したとはいえ、現段階で支那中共を「信頼すべきパートナー」とするのは時期尚早であり、警戒すべき相手であることに変わりはありません。最終的に習近平氏を利するだけ、なんてことも十分に懸念されます。
それでなくとも米国との貿易戦争、ウイグル族強制収容問題と、今日何かにつけて「悪」のイメージのみが先行する支那中共です。最悪の状態にある米国と支那中共の間を取り持つ意味合いすら垣間見えますが、我が国が両国の軋轢に耐えてまでお目付け役や仲裁役、況してや保証人まで買って出る必要があるのでしょうか。
一方で楽観的な視点から見ると、支那中共の経済破綻を見越した「一帯一路」の乗っ取り……言葉が悪いですね……我が国がいつでも舵取りを取って代われる準備「日本主導型経済・貿易共栄圏」を戦略的に伺っているとも受け取れます。
まあ、支那中共主導の一帯一路政策に比べれば、我が国主導の経済・貿易共栄圏の方がはるかに公正・自由・透明かつ信頼性の高いものになることは間違いないと思います。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と言いますが、リスクを自ら背負い米国と支那の間でこれ程豪胆な戦略、強かな方針を打ち立てたというなら、日本国そして安倍首相の外交手腕たるや世界中からの称賛に値するものだと考えます…が、現実はどうなるのでしょうか? 今後に期待し、見守るしか無さそうですね。
間違っても経済界の「営利至上主義」とそれから生じるであろう「魂なき繁栄」の為では無いことを祈るのみです。
■野村秋介氏らによるフィリピン日本人カメラマン救出劇
さて、前回のコラムで【烈士・野村秋介】について拙文ながら皆さまにご紹介させて頂きました。もちろん既にご存知の方も多く居られたことと思います。野村秋介という生き方や徹頭徹尾貫かれた美学を限られた文章で伝えるのは難しく、興味をお持ちの方には関連する書籍の購読をお薦めしております。
【二十一世紀書院】
http://21seikisyoin.web.fc2.com/
野村秋介烈士の生前の活動を風化させない為の言論活動や、機関誌【燃えよ祖国】の発行、【群青忌】の開催を行い、遺された著作等の出版・販売を手掛けるという、心ある出版社です。
野村秋介烈士が遺した瑞瑞しくも烈々とした言葉に触れてみては如何でしょう。
さて、野村秋介氏がフィリピンの反政府ゲリラに囚われた日本人カメラマンを救出したエピソードは「時期的」にもタイムリー(?)であり、いくつかのお問い合わせを頂戴しました。ここに改めて書き記し、広く皆さまに知って頂きたいと思います。
昭和60年(1985)。日本人カメラマン・石川重弘氏はフィリピンで活動するゲリラの写真を撮るためホロ島に渡りました。その際雇った現地ガイド2名がゲリラ側からスパイと見なされ射殺されます。そして石川氏は反政府イスラム・ゲリラ組織「モロ民族解放戦線」(MNLF)によって拘束され、囚われの身となったのです。日本国外務省は石川氏の実家を訪れ「死んだと思われたし」と伝えたそうです。
石川氏のことを知ったK氏(元任侠の高名な人物)がフィリピン側の有志と共に救出に動きますが、肝心の日本大使館は一切関心を示さず難航。しかも反政府ゲリラと接触を行うK氏らにフィリピン政府側も警戒を示し、下手をすると暗殺されてもおかしくない状況に追い込まれます。
切羽詰まったK氏は旧知の【右翼・野村秋介】に石川氏救出を相談、快諾した野村秋介氏は直ちに行動を開始しました。
先ずはマスコミ有志による【石川重弘君を救う会】を結成。広く国内に報道し、救出を呼び掛けました。また何度も現地に赴き、現地の救出グループの動きを支援します。救出グループはゲリラ側と交渉を重ね、当初の要求「身代金30万ドル(当時で約8000万円相当)・マシンガン100丁」から身代金を3000万円に引き下げ、マシンガンは拒否する事でほぼまとまり掛けていました。
ところが、例え「新右翼のカリスマ」といえども3000万円という大金を短期間で工面することは困難なことでした。そんな時に援助を申し出たのが当時武闘派として知られた山口組系のG組長だったといいます。何の見返りも求めず【野村秋介】という浪曼に掛けるのだと。
■”自分で蒔いた種は自分で”人質カメラマンの「覚悟」
石川氏は捕虜として幽閉され、昼間は山の開墾作業をさせられ、夜は畳1畳分という狭い所に閉じ込められていたそうです。当然自由は制限され、鍵を掛けられます。食事は山イモばかりで3日に一度出る小魚の干物がご馳走だったとか。そんな中で救出グループに宛てた手紙は石川氏の覚悟を示すものでした。
『これ迄3通の手紙を大使館に出したが、誰一人として引き取りに来れないということは、日比両政府と私の家族に対し、ゲリラ側が途方もない要求をしているのではないかと考えます。それが事実なら絶対に応じないでください。私自身は現状に我慢できますし、自力脱出も不可能ではないと思っています。救出されることが不可能な場合、最終的には自分で蒔いた種は自分で刈り取るのが本筋かと思います。皆さまの救出を待つ身でこのようなことを書くのは恥ずかしくもあり、生意気かとも思いますが、私の現在の心境なのです』
この手紙、石川氏は極限状態に在ってもなお、命乞いもせず「自分のことは自分で」と覚悟を示したのです。そしてその覚悟と潔さは野村秋介氏をはじめとする救出グループの胸を打ち、救出に向け更なる活動へと繋がっていきました。
ゲリラ側との最後の交渉は昭和61年の初頭。石川氏解放の条件として、ゲリラの出身母体たるスールー諸島のイスラム系住民に対し、3000万円相当の医療品供与を行うことで決着します。この医療品に関して、野村秋介氏の働き掛けが効をなし、最終的に【日本船舶振興会】の笹川良一氏によって賄われました。
この決着から解放までの3ヶ月の間に、マルコス王朝崩壊とアキノ政権誕生という激動のフィリピン情勢が起こり、ようやく3月に至ってゲリラ側から石川氏の身柄引き渡しを成し遂げたのです。
救出グループ、石川氏、野村秋介氏とK氏は船でザンボアンガまで渡り、飛行機でマニラへ向かいます。
そこではフィリピン正規軍が石川氏を個別に保護しヘリコプターで移動させると譲りません。正規軍大佐の態度に不信感を抱いた野村秋介氏は、武装した正規軍相手に獅子吼! その気迫に圧された正規軍は石川氏の連行を断念、直ちに解放したといいます。
■33年前にはかくも美しい「日本人らしさ」があった?
翌朝、マニラ空港に着くや否や日本のマスコミ、海外通信社の取材攻勢を受けますが、日本大使館員による事情聴取も石川氏に対し行われます。そしてパスポートを所持っていない(幽閉されてたのですから当たり前です!)ことを理由に一時身柄を拘束すると言い出したそうです。
『お前らそれでも日本人か!』
『こんなとき「大変だったね」とか「ご苦労様、身体は大丈夫?」とか人間らしい言葉を掛けれないのか! 身柄を拘束?舐めたこといってんじゃないぞ!』
『だいたいお前らは石川君の救出に何ひとつやってないじゃないか! 石川君は絶対に渡さん!』
野村秋介氏は前日の正規軍に続き、大使館員にも大喝。自らの言い分を押し通したのです。その日、マニラのホテルでは世界中のジャーナリストが集まり、記者会見が行われました。東京から日本船舶振興会の笹川良一会長代理・笹川陽平副会長、自民党の山口敏夫議員、そして石川氏がひな壇に上がりましたが…本当の主役たち、命の危険をも顧みず救出を行った者たちの席はありませんでした。
本当の主役たちが求めたのはそんな晴れがましい舞台ではなく、石川氏と共に肩を抱き合って涙すること、日本に連れ帰り心配する母親に会わせることだけだったのです。
今から30年以上前の出来事【石川カメラマン救出劇】の概略です。野村秋介氏とK氏、G組長らの義侠心。無名故に自国からも見放された一人のカメラマンを命懸けで救出することは、例え現代であっても誰にもできることではありません。
そしてまた、石川氏の覚悟と潔さもまた立派なものでした。マニラの記者会見では「K・野村両先生、笹川会長から新しい命を頂きました」と冒頭で挨拶しています。助けてくれた人たちへの感謝、心配と迷惑を掛けたことへの謝罪、新しい命を授かったと言わしめる謙虚さ。救い出した者たちは何の見返りも求めず、互いの涙を報酬とした… これこそが「真の日本人」の姿ではありませんか! 僅か30数年前の我が国にはそんな「日本人らしさ」が健在だったのです。
反って今日、ジャーナリストの「自己責任」が世間で大きな話題となっています。渦中の安田純平氏の不遜かつ傲慢としか映らない言動からは、感謝や謙虚さは微塵にも感じ取れません。「韓国人・ウマル」を名乗ったからだけではありません。全てに「日本人らしさ」が欠落しているように思えて仕方ないのです。
30年前の当時でさえ野村秋介氏は「ゲリラによる身代金ビジネスだ」と断じています。ゲリラによる誘拐はビジネスモデルとして既に出来上がっているのです。「誰が、なぜ誘拐したのか」「どの様に幽閉されたのか」「どんな非人道的行為を受けたのか」「誰が誰と何を交渉したのか」「誰が誰にいくら払ったのか」その詳細な経緯がいずれ明らかにされていくことでしょう。私の友人・孫向文氏は見事に矛盾点を指摘しています。安田氏を「英雄」と持ち上げることの愚かさは言わずもがな、日々出てくる情報に注目することとします。
天に向かって唾を吐くと、必ず自身に降りかかってきます。我々多くの日本人は、そのことを生まれながらに理解していますし、幼少の頃から教えられ、身を以て経験することで修めてきました。非日本人的な出来事、事件を見るにつけ、立ち返るべき【真の日本人】が日増しに遠退くような、そんな焦燥感を覚えています。
【参考文献】
「激しき雪 最後の国士・野村秋介」山平重樹著/幻冬舎
「汚れた顔の天使たち」野村秋介著/二十一世紀書院