ヨーロッパとアフリカのはざま、地中海の真ん中に浮かぶマルタ共和国。
その大部分を占めるのが、首都ヴァレッタを擁するマルタ島です。世界遺産に登録された旧市街、カラフルな漁村、美しい自然が多くの旅行者を惹きつける人気のリゾート地。
マルタ島の歴史を語る上で欠かせなのが、聖ヨハネ騎士団の存在です。騎士団とは何か、なぜマルタを拠点にしたのか、マルタで何をしていたのか・・・騎士団にまつわる歴史を知れば、マルタ旅行が数倍楽しくなるはずです。
マルタに拠点を置いた聖ヨハネ騎士団は、中世に設立された宗教騎士団。マルタを本拠にしていたことから、「マルタ騎士団」とも呼ばれます。
1113年、キリスト教の聖地であるエルサレムに巡礼する信者の保護を目的に、エルサレムに聖ヨハネ騎士団が創設されました。
その起源は11世紀に設立された病院兼巡礼者の宿泊所で、「ホスピタル騎士団」とも呼ばれたように、聖ヨハネ騎士団は施療院を運営して、病人やけが人の治療や看護にあたっていました。
その後、騎士団はしだいに軍事的な性質を強めていくことになります。
1187年にイスラム勢力の攻撃によりエルサレムが陥落。
1291年には、キリスト教徒の最後の砦であったアッコ(現イスラエル)もイスラム勢力の手に落ち、聖ヨハネ騎士団は一時キプロスに逃れた後、1309年にロドス島(現ギリシャ)に本拠地を移しました。
騎士団が多くの建造物を築いたロドス・タウンも、マルタの首都ヴァレッタと同じ城塞都市。城壁に囲まれた旧市街はまるごと世界遺産に登録されています。
1444年にはエジプト、1480年にはオスマン帝国のイスラム勢力からの襲撃を受けるも、騎士団はこれを退けます。
当時、聖ヨハネ騎士団が中東のイスラム勢力と戦う唯一の主要な騎士団となっていたため、ヨーロッパから多額の寄付が集まったうえ、騎士団員は貴族の出身者が多かったため、騎士団の財政は潤沢だったのです。
騎士団員は出身地、言語別にプロヴァンス、オーベルニュ、フランス、イタリア、アラゴン、イングランド、ドイツ、ポルトガルとカスティーリャの8つのグループに分かれており、それぞれに館が設けられていました。
ロドス島で順調な活躍を見せていた聖ヨハネ騎士団ですが、ついにロドス落城の時が訪れます。
1522年、オスマン帝国の第10代スレイマン1世がロドスに来襲。必死の攻防を繰り広げるも、オスマン帝国の軍勢20万人に対し、騎士団側は7千人ほど。
この「ロドス包囲戦」に敗れた騎士団は、やむなくロドス島を明け渡して、シチリア島(現イタリア)に撤退しました。
聖ヨハネ騎士団の歴史において、マルタ島の出番がやってきたのは1530年のこと。
神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)は、イスラム勢力に対抗するキリスト教徒の砦とすべく、聖ヨハネ騎士団に当時忘れ去られていたマルタ島を与えます。
マルタに拠点を移した騎士団は、商業と貿易の発展に力を入れ、マルタ経済を潤しました。
騎士団がマルタで最初に砦を築いたのが、ヴァレッタの対岸に位置するヴィットリオーザ。
当時の首都は内陸に位置するイムディーナにありましたが、騎士団は、オスマン帝国との戦いに備えるべく、海沿いのヴィットリーオーザを本拠地に決めます。
騎士団は、天然の要塞ともいえる地形を利用し、聖アンジェロ砦を整備して、高い防衛力をもつ堅固な城塞都市を造りあげました。
騎士団がマルタに拠点を移してからも、ロドス島を攻略したオスマン帝国軍は、聖ヨハネ騎士団を再び追い詰めることを忘れてはいませんでした。
1565年、オスマン帝国の艦隊、約4万人がマルタ島を包囲します。このとき、騎士団側はわずか700人、マルタ人の正規軍が8000人ばかり。数では圧倒的に劣勢だったものの、騎士団は猛攻に耐え、マルタの人々とシチリアからの援軍を得て、ついに3ヵ月に及んだ熾烈な戦いに勝利します。
この大包囲戦が終わった9月8日は、今でもマルタで祝日として祝われています。
その後、当時の騎士団長でフランス人のジャン・パリソ・ドゥ・ラ・ヴァレットは岬に要塞都市を築き、その街は団長の名前にちなんで「ヴァレッタ」と名付けられました。
壮麗なる聖ヨハネ大聖堂や騎士団長の宮殿、マノエル劇場など、現在のヴァレッタを象徴する建造物が建てられ、マルタにおける聖ヨハネ騎士団は黄金時代を迎えます。
ところが、平和が戻り目的を失った騎士団員の生活は堕落し、しだいに戦うことすら忘れていきます。
1798年、総勢5万8000の兵を率いたナポレオンの艦隊が、水と食料の調達を口実にマルタに寄港。騎士団は戦うことすらせず降伏してしまったのです。
こうして、268年に及んだ騎士団のマルタ支配はあっけなく終結。マルタはフランスの属領にされてしまいます。
その後、1800年から160年以上にわたったイギリスによる統治を経て、1974年にマルタ共和国が発足。マルタという国が現在の形になったのは、わずか40数年前の話なのです。
騎士団の夢の跡が残るマルタの首都ヴァレッタは、歴史的な街並みがまるごと世界遺産。海に浮かぶ要塞島のような類まれなる都市の景観は、今も世界中の人々を魅了し続けています。
騎士団の拠点になっていなかったら、マルタはどうなっていたか。それは誰にもわかりませんが、騎士団が築いた美しい街並みは、いつまでも残しておきたいかけがえのない宝物です。
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