北朝鮮情勢は、トランプ氏の米朝首脳会談のキャンセル騒動でさらに混迷を極めてきた。そんな中、日本は「拉致問題」だけでなく、帰国事業で騙された「”日本人妻”たちを一刻も早く救出すべき」と訴えるのが、在日朝鮮人で元脱北者の川崎栄子さん(75)だ。

1950年代以降に行われた在日朝鮮人の帰国事業と、その渦中で犠牲となった日本人妻。ネット上の過激な保守派の一部から「元々お金目当てで日本に渡った朝鮮の人たちが自国に帰っただけ」「朝鮮の人と結婚した日本人が配偶者と運命を共にしただけ」などといった、心ない言説も流布している。はたして帰国事業とは、その名の通り、在日朝鮮人の単なる「帰国」だったのか。そして、日本人妻の命運は本当に自業自得だったか。

前回は川崎さんに、1950年代から行われた帰還事業の歴史的背景について語ってもらった。

【脱北者・川崎栄子さんの証言、安倍政権すら触れたがらない忘れられた日本人妻の現在】

https://news-vision.jp/intro/188368/

今回はさらに踏み込んで、帰国事業の名の下に、日本国民である女性たちをも騙した政府と朝鮮総連、そしてマスコミの闇にメスを入れたい。

ーー金日成と、朝鮮総連の初代議長ハン・ドクス(韓徳銖)が在日朝鮮人に目をつけて「帰還事業」を作り上げていったということですか。

「金日成とハン・ドクスの密約によって出来たのが朝鮮総連です。金日成はハン・ドクスを呼びつけて、”在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させよ”という指令を出しました。ただし『北朝鮮の方から在日に帰国を呼びかけるのは、後々、国際問題になりかねない。彼らの方からお願いして(自発的に)帰国するような世論を作るように』という注文をつけたんです」

前回に取り上げたように、日本にいた在日朝鮮人の95%以上が南朝鮮(韓国地域)の出身である。つまりこれは帰国ではなく、移住というべきだ。日本でいえば、沖縄の人が北海道に帰国するようなものである。そこで、日本のマスコミを巻き込んでの「ストーリー」がデッチ上げられることになったという。

「ハン・ドクスの地盤は神奈川県川崎市・中留という地域でした。ここは養豚業を生業にする人が多かったのですが、当時伝染病がありゴタゴタしてた。ハン・ドクスは、ここにあった分会(総連の末端組織)で『北朝鮮はこんなに素晴らしい、何でも保障されてる。日本で豚にまみれてこんな仕事をする必要はない』という話をしました。韓国出身の彼らを『まずは堂々と北朝鮮の国民になればいい。もちろん半島が統一されたら、韓国に帰って錦を飾ればいい』と説得したんです。そして、彼らに金日成へ『帰国したいのですが受け入れてください』という手紙を書かせたのです」

この”手紙”で大義名分を得た金日成は、1958年9月9日の北朝鮮建国記念日に彼らの帰国を歓迎する演説をする。北朝鮮政府は帰還を援助し、帰国後の生活を保障するというものだった。これを皮切りに在日社会では朝鮮総連を中心に「帰国協力運動」の一大キャンペーンが展開され始めた。帰国の早期実現を求める集会は全国で二千カ所以上も開催されたという。

■与野党とも国会・市町村議会が賛成決議、マスコミも加担した帰国事業

「この金日成の動きに日本側も一斉に乗りました。国会はもちろん、市町村議会にいたるまで帰国事業に対する賛成決議を出しています。日本は与党と野党がいつも争ってますが、この件に関してだけは全政党が賛成してるんです。また労働組合や青年団、婦人団体など様々な団体がありますが、これらもことごとく賛成しています。当時、日本は高度成長期を迎える直前の苦しい時でした。在日朝鮮人は邪魔な存在だったんです。もう少し後なら、労働力不足ということでこのようなことにもならなかったかもしれません」

川崎さんがいうように、帰国協力は超党派の共通方針であり、自民党内からも積極的な働きかけの記録が残っている。1958年11月に結成された『在日朝鮮人の帰国への協力会』には社会党・浅沼稲次郎委員長や共産党・宮本顕治書記長のほか、自民党・小泉純也議員(小泉純一郎氏の父)や鳩山一郎元首相(鳩山由紀夫氏の祖父)らが名を連ねている。そして、59年2月には、岸内閣(安倍晋三首相の祖父)も「帰国運動を認める」という方針を発表している。

ーーこの日本政府の動きに合わせるように、大手メディアも全力で帰国協力を打ち出していったと。

「メディアも総力をあげて、帰国協力のキャンペーンの一翼を担いました。テレビは隆盛前でしたから、主力は新聞や雑誌です。こぞって『北朝鮮は楽園だ』と報じ、そういう雰囲気を作り上げています。ぜひ、図書館で当時の記事を読んでみてください。『なんで日本で差別を受けて生きてるんですか』『子供たちも好きな学校に行けますし、病気もタダで直せるのに』とお祭り騒ぎのように、連日報じていたんです」

国を挙げてのキャンペーンが功を奏した結果、北朝鮮に渡った在日朝鮮人らは約9万3千人。永住帰国事業は84年まで続いている。その内、1831人が「日本人妻」だった。たまたま結婚した相手が在日朝鮮人だったという、純粋な日本人である。

■「ご先祖の墓を抱いて死にたい」日本人妻が受けた壮絶な仕打ち

そんな社会ムーブメントの最中の1960年、京都の朝鮮高校の学生だった川崎さんも北朝鮮に渡った。家族を残し、一足先に一人での渡航だった。だが、帰還船する中、対岸に見えるみすぼらしい北の国民を見た瞬間に「騙された」と悟ったという。待っていたのは、マスコミの喧伝した「楽園」とは程遠い貧困の新天地、北朝鮮の偽りのない正体だった。

こんな所に来たら家族まで死んでしまう、川崎さんは焦った。しかし、手紙などの通信手段は検閲もあり、自由に伝達できない。そこで川崎さんは日本で帰国にそなえる両親に「娘はこんなことを書くはずがない」という内容の手紙を送り続け、異変を伝えて家族の帰還を阻止したという。それでも川崎さんは生きる希望を失わずに、同地で高校に入学。大学で学んだ後、機械工場でエンジニアになる”エリートコース”を歩んだため、「比較的ラッキーだった」と振り返る。

「他の家族で帰国した在日朝鮮人たちは、帰還後、いきなり炭坑や鉱山に放り込まれた方も多かった。楽園だと信じてきたのに、そのような仕打ちを受けて、皆さん、驚いてパニックになっていました。北朝鮮の現実を知れば知るほど落ち込み、絶望していきました。でも、その中で最も酷い仕打ちを受けたのは”日本人妻”だったんです」

日本で育った在日朝鮮人は朝鮮語も話せず「ハンジョッパリ」と冷遇されるという話を聞いたことがある。しかし、それはあくまで同じ民族に対するイジメである。それよりも、ずっと厳しい処遇で虐待を受けたのは日本人妻だった。

「自分たちの国を併合した、にっくき日本の国民ということで徹底的に虐められました。どれだけ酷いイジメを受けたと思います? イジメ殺された日本人がいっぱいます!

私の友達にも、ある日本人妻がいました。彼女は、何か少しでもミスをすると会議で集団で攻撃を受けて吊るし上げられた。北朝鮮では多少体調が悪かろうと労働に出るのが普通なのですが、ある時、彼女のすごく顔色が悪かったんで別の友達が『私が班長に言ってあげるから休みなさい』と止めたんです。でも『後で文句を言われイジメられるから』と怖がって仕事に出て行った。仕事は道路工事でした。スコップを持って砂や砂利を掬うのですが、仕事を始めようとスコップを持った途端、そのまま座り込んで死んでいきました。それくらいイジメられたんです。

彼女の他にも、亡くなった日本人妻の友人がいました。彼女は『夜寝てても、もしかしたらこのまま日本に帰れなくて朝鮮でそのまま死ぬかと思って飛び起きてしまう。何としても日本の地にたどり着いて、ご先祖様の墓参りをして、墓石を抱いたまま私は死にたいの…』と常々言ってました。その彼女も結局は北朝鮮の地で死にました。彼女がどれだけ恨みを持ちながら死んだと思います?」

■日本人妻の悲劇は自己責任か!? 帰還を推し進めた社会ぐるみの説得

理想郷を夢見て降り立った北の地。そこで待っていたのは共産主義の生んだ階級社会、その最下層の扱いだった。だが、これは自らの思想が招いた”自己責任”なのだろうか。吉永小百合主演の映画『未成年 続・キューポラのある街』でも、帰還問題に迷う在日朝鮮人家族が登場し、その日本人妻を説得する主人公が肯定的に描かれている。当時の社会背景では、帰還事業に疑念をはさむ余地は想像以上になかったようだ。川崎さんは「日本人妻たちには微塵も落ち度はない」と説明する。

「そもそも彼女らだって、北朝鮮に渡る前にすごく悩んでいたんです。そりゃ伴侶や家族といっしょだとはいえ、自分は生まれ育った祖国を離れる訳ですから。子供のいない(日本人と在日朝鮮人)夫婦たちは実際に別れたりしています。でも、子供のいる日本人女性は、差別を受けたり、教育を受けられない子供の将来を思って迷ったケースが多かった。そこに婦人団体や労働組合の人たちが、彼女らの自宅を日参して『早くしなさい。希望の国が待っている』『アナタの旦那さんの国は素晴らしいのに何を迷ってるの』と背中を押していたんです。(自分の生まれた)日本国政府も認める帰還事業ですよ、誰が騙されていると思いますか?」

もちろん拉致被害者とは違い、帰還者も日本人妻も本人らの意思でかの地へ渡っている。だが、自己責任として片付けられない政府や社会の加担がそこにある。喧伝された「夢の楽園」が真っ赤なウソだったと判明した時点で、朝鮮総連と韓国政府は帰還した在日朝鮮人を、そして日本政府は同胞である日本人妻を命がけで取り戻すべきだったのではないか。日本政府が見捨てたら、もはや彼女らを救う手だてなど存在しない。

現在の日本政府の対応に付いて、川崎さんは「2014年のストックホルム合意で、北朝鮮から提案のあった日本人妻の解放を(日本側が)却下した」と説明するが、この件に関しては編集部の調査では事実関係の確認が取れていない。だが、少なくとも政府は拉致被害者奪回と同様の執念を持って、日本人妻の救出には取り組んでいないように感じられる。

やはり日本人妻は政府さえも忘れようとする存在なのか。海を隔てわずか数百キロ。刻一刻と揺れ動く米朝情勢を知る術もなく、同じ空を見ながら故郷に帰る日を夢見る同胞たちがいることを我々は忘れてはならない。

取材協力:川崎栄子(NGOモドゥモイジャ代表)