皆様はじめまして。チバレイこと千葉麗子と申します。ご縁を頂き、今回よりNEW'S VISIONでの連載を始めさせていただく事になりました。拙い文章ですが、どうぞお付き合いくださいませ。

先月末。16歳でデビューの為に郷里・福島から上京し、30年近く住み慣れた東京から、九州・福岡県に移住して参りました。雄大な大自然、海も山も10キロ圏内という糸島市に。新鮮な海の幸と山の幸、しかも安い! 東京都渋谷区では考えられない価格と量に驚く日々なのです。

良く晴れた日、海を見ながらお茶をしてた時に遥か彼方に島影(?)発見! 「壱岐島だよ」と教えて貰いました。ん? 「壱岐・対馬」の壱岐? 目視出来る距離なの? その先には対馬? 更には朝鮮半島…からの大陸……。一気にリゾートな気分はお仕舞い。

過去、台湾~成田便で機内モニターに写される空路図で、台湾・沖縄・尖閣諸島・支那大陸の距離感に改めて驚いた事が有りました。しかし、今回は更に現実的かつ身近な事と思い知らされゾッとしました。

先日の米朝会談に於て、拉致被害者について言及された事、大変に有り難く喜ばしい事でした。しかしながら在韓米軍の撤退に「所謂防共ラインは対馬になるの?」と心配しています。

これをチバレイ流に言い換えると「防パヨクライン」となりますか。あ!「パヨク」の語源等については、またの機会に書きますね。とにかく共産主義、反日パヨク国の防衛ラインが38度線から一気に対馬まで下げられて行く!

対馬では昔から、夜寝ない子供たちに「ムクリ、コクリが来るぞ!」と言い聞かせて居るそうで、ムクリとコクリ。そう、紛れもなく蒙古(モンゴル)・高句麗・高麗のことですよね。

鎌倉時代中期、我が国は2度に渡る大きな軍事侵攻を受けました。世に言う元寇で、モンゴル帝国と、その属たる高麗王国連合軍が軍船4000、約16万の兵(第二次侵攻)で攻めて来たのです。それ以前にも海賊行為や侵攻は有ったとされていますが、元寇に関しては規模からしても過去に無いほどの軍事侵攻だったのです。

最初の「文安の役」では現在の対馬、壱岐、佐賀県沿岸、そして福岡市が大きな被害を受け、多くの犠牲者が出ています。しかしながら勇猛果敢な日本軍の戦いと「台風以外の気象現象」とされる強風により敵は全滅してしまいます。

これを受け、幕府主導の下で大規模な湾岸防衛が行われます。防塁と言われる石築地で、高さ2メートルのバリケード。これが博多湾を20キロに渡って築造されました。長崎では松浦~平戸に掛けて約50キロに及ぶ防塁が残っています。

第一次侵攻からわずか7年。再び大規模な元による軍事侵攻「弘安の役」が有りました。前述した16万と言う武装勢力でしたが、防塁を前に博多湾上陸を断念。分散された兵は迎え撃つ日本軍と戦闘を繰り返しますが、またしても強風と高波に全滅してしまいます。

元寇を語る上でも、日本の宗教観を見る上でも大切な事ですが、神風については敢えて書き及んでません。

2度の日本侵攻の失敗は、その後の明で議論された日本征討論、そして軍事恫喝をもことごとく腰砕けにさせるほどのトラウマとなったようです。そして起こるのが「日本脅威論」。

~倭人はまるで狼。死を恐れず、例え相手が100人いても10人で立ち向かう。勝たなければ死ぬまで戦う。婦人も甚だ気性が激しく、犯すべからず~。

思うにこの教訓は、800年近く経た現在もどこかに密かに生きてるのではないでしょうか。何と言うか遺伝子レベルで。それ故に常に我が国を目の敵にして、口撃と恫喝を繰り返してる朝鮮半島・支那大陸の民族。

護るということは、闘う事が出来てこそ。闘えない、闘う覚悟も無いのに護ることは出来ない。護るための準備を用意周到に行い、情報を集め、何時でも迎え撃つ態勢を整える事が防衛だと思います。

我が国は領土・領海・領空の防衛について国民一人一人が覚悟を持たないといけないところに来ています。いつ「現代版・元寇」が起こっても良いように。

梅雨入りした糸島の海。この海底には未だ元の軍船の残骸が眠っています。歴史は繰り返すと言いますが、繰り返さない努力をすべきですね。