オーストラリアは、実は8000以上の島々からなりたっている国である事をご存知でしょうか。

様々な島の中でも、最も有名な島の1つがタスマニア島。

実はタスマニア島は、オーストラリアにおいても歴史のある島の一つで、オランダ人のアベル・タスマンが1642年に上陸したという記録が残っています。

その後、1803年には、オーストラリアからの植民が始まり、古い町は1800年代に作られていきました。

そんなタスマニア島は1つの島そのものがタスマニア州として成立しており、州都はタスマニア島の南にあるホバートという街におかれています。

実はこのホバートという街は、オーストラリアではシドニーに次いで2番目に古い都市。

天然の良港として知られ、かつて欧米列強が燃料や潤滑油として大量に使っていた鯨油(げいゆ)の原料として行っていた南太平洋の捕鯨基地として入植以降急速に発展した街。

その後、捕鯨を中心にアザラシ貿易や造船業などの中心地として、オーストラリアの近代化に欠かせない街として知られています。

そんなホバートの街から車で約25分のところに、現代のオーストラリアの近代化からは忘れ去られてしまったとも言える、リッチモンドという町があります。

今回はそんな200年前の当時の建物が今なお残っている、オーストラリア・タスマニア島のリッチモンドをご紹介しましょう。

リッチモンドのランドマークの1つが、街の名前がつけられているリッチモンド橋。

この石橋、現在ではオーストラリアに現存する橋の中で最古の石橋としてオーストラリアの国立遺産リストにも加えられています。

実はリッチモンドの繁栄は、このコール川にかけられたこの橋からスタートしています。

この橋のおかげで、タスマニア島の東海岸、そして監獄の町ポートアーサーとを結ぶ道が開かれます。

1830年代にはリッチモンドに様々な商店や事業者が勃興し、タスマニア島でも3本の指に入るほどの大きな街として繁栄していきます。

ところが、その繁栄から40年後、リッチモンドはその繁栄の光を失ってしまいます。

その理由が、1872年にピッツウオーターの浅い入江を埋め立てて造ったゾレル・コーズウェイ。

新しい道路が開通したことによって、リッチモンドへの交通量は激減し、繁栄とはかけ離れた忘れ去られた街となってしまいました。

そのため、現在ではオーストラリアの入植当時の雰囲気がそのまま取り残された町となっています。

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