こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。

以前コラムで『二度目の人生を異世界に』(ホビージャパン/まいん)という大人気ライトノベルが書籍の出荷停止とアニメの放送中止になった事件を掲載しました。中国、そして韓国と日本の左派から「圧力」があったという内容でした。

ほどなく、また漫画作品のドラマ化の放送が中止になったのです。6月18日、テレビ朝日系列で7月開始予定だった、人気漫画のドラマ化『幸色(さちいろ)のワンルーム』の放送(関西地区をのぞく)が中止になりました。

今春に起きた、小学生の女児が誘拐・殺害・死体遺棄された悲惨な事件に配慮したのか、「未成年誘拐」を肯定する作品ではないかという声が上がったため、自粛したものと思われます。しかしながら、これの作品は犯罪を肯定するテーマなのでしょうか?「幸色のワンルーム」のあらすじは下記の通りです。

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中学生である14歳のある少女・幸は、声をかけられた青年に「誘拐」された。少女と誘拐犯の青年は寄り添う生活で心を通わせ、徐々に絆を深める。生活に慣れると少女は「二人で逃げ切れたら結婚しよう、捕まったら一緒に死のう」と提案し、「結婚」を前提として「同居生活」を始める。

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また、ヒロインの幸は両親から虐待を日常的に受けており、学校でもいじめられています。彼女を助けるべき、学校の先生からも体を触るなど猥褻行為を受けました。絶望で自殺寸前だったところを主人公の青年に話しかけられ、世間的には「誘拐」、少女の視点で見ると「保護」された。そして、ヒロイン自らが「誘拐ごっこというゲームをしよう」「2人で逃げ切れたら結婚しよう、捕まったら一緒に死のう」と主人公に提案して、「誘拐ごっこ」がスタートします。

作品には、「誘拐犯」である主人公が少女への性的な暴力や殺害しようとする行為は一切、ありません。恋に落ち、結婚に至った主人公と少女が、たまたま「特殊な出会い」だった、というラブストーリーとの見方が出来るのではないでしょうか。

作品はウェブサイトpixivにも公開されるや、累計が6,200万ビューを超える人気作品に。しかし、テレビ朝日がドラマ化を発表すると、「誘拐」という言葉にSNSなどが過剰に反応し、ドラマ化反対の声が上がりました。その声に動かされるように、同局は「改めて精査した結果、総合的な判断として放送を見送ることにした」と中止を発表しました。

しかし、一風変わった出会い(誘拐ごっこ)というなら、他にも作品があるのではないでしょうか。

■誘拐し、”虐待”をする『万引き家族』は推奨される不思議

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隣のマンションの階段で5歳の女の子「ゆり」が震えているのを見つけ、主人公の柴田治(50代)が連れて帰る。親からの虐待を受け、体中に傷跡がある「ゆり」の心情を考え、柴田家の6人目の家族として受け入れた。ところが柴田家はこの「ゆり」に万引きをさせはじめた。

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……これはカンヌ映画祭パルムドール作品『万引き家族』の一部です。

親からの虐待を受けた少女が、世間が「誘拐」とするような形での保護で、両親と離れて暮らす。どちらも似通った設定ではありませんか?

しかし、決定的な違いは年齢設定です。『幸色のワンルーム』では、10代後半~20代前半とみられる青年が14歳の少女を「誘拐ごっこ」する。一方『万引き家族』では、50代の中年男性が5歳の幼女を「誘拐」する。

この年齢差を比較すれば、『万引き家族』の方が、より「誘拐」に近い犯罪的なニュアンスではないでしょうか。加えて、決定的な違いは、『万引き家族』では、虐待から保護した「ゆり」に万引きをさせるという、実の両親とは異なる形の「虐待」を行っているのです。『幸色のワンルーム』の主人公は料理が得意で、少女にご飯を作ってあげたりするという、ほのぼのするようなシーンもあり、「虐待」とは程遠い。

『幸色のワンルーム』の”誘拐犯”のお兄さんは、料理上手で少女の髪を洗ったりもする青年、こちらは放送禁止されたのに、『万引き家族』の”誘拐犯”の中年男性は少年(祥太)の頭髪がボサボサでもお構いなし、さらにカップ麺やお菓子など、スーパーの食材を万引きさせる…これだけ子どもの待遇に差があるのに、作品としての扱いに違和感が残ります。

『万引き家族』はカンヌ受賞作という理由か、それとも是枝裕和監督が左派層から強く支持されている理由か、上映には「万引きや誘拐を肯定している」などというクレームはありませんでした。オタク文化には厳しいが権威に弱い、これがメディアの正義=「ポリティカルコレクトネス」なのでしょうか。

■過剰なクレームと自粛過多のメディアが作品の本質を見誤らせる?

『聲の形』(講談社/大今良時)という、私も熟読したヒット漫画がありました。耳の不自由な女子小学生が同級生からいじめられるという内容ですが、物語はその後、主人公の男の子が小学時代の行為を深く反省し、一生をかけて、障害者の女の子に貢献するという心温まる展開をみせます。しかし、ここでも前半の障害者イジメだけがクローズアップされ、「不適切な表現を含む」との理由で、危うく、編集部の自主規制によって掲載を中止されそうになりました。弱者の人権を守る気遣いによって、障害者への理解を深めようとする作品が全否定されるのは、本末転倒ではないでしょうか。

音楽業界においても、表現への弾圧は止まりません。人気バンドRADWIMPSの新曲「HINOMARU」や、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」が軍国主義や戦争を美化しているという、ただの因縁としか思えないような非難が巻き起こっています。ここでもポリティカルコレクトネスを掲げた左派によって、バンドの活動や全人格が否定されるような事態が起こっています。

私は中国共産党の厳しい漫画規制から逃れ、コンテンツ天国・日本にやってきました。しかしながら、残念なことに日本の一部左派勢力の強烈なクレームと、腰の引けた旧メディアの自主規制によって、優良な作品の本質が見誤られようとしている気がします。日本人のクリエイターは、圧力に屈することなく、作品を守るスタンスであって欲しいと、願っております。