2018年7月6日 オウム真理教の教祖麻原彰晃はじめ丸人の死刑が執行された。
当連載の「菊池直子の隠れ家」を紹介する記事で、「記事が出るころには、死刑になってる頃かも……」と書いたのたが、記事が出て間もなく実行されて驚いた。
時に筆者(村田らむ)は「樹海考」(晶文社)という単行本を7月27日に出版させていただくことになった。
僕が20年近く青木ヶ原樹海に通って見た、様々なモノを書いた単行本だ。ぜひ読んでいただきたい。よろしくお願いします。
そして、『樹海考』の中にもオウム真理教は出てくる。オウム真理教がサリンを製造したり、人を焼く装置を作ったりしていたサティアンと呼ばれる施設が富士山の裾野にあったからだ。当時は「富士山麓にオウム鳴く」とルート5の覚え方になぞらえて、揶揄したものだった。
オウムの施設があったのは、青木ヶ原樹海の少し南にあたる。864年に起こった貞観大噴火では溶岩は富士山の北方向に流れた。
樹海は、冷えて固まった溶岩の上に無理やり樹木が生えている森なので、地下にもぐれない樹の根が地上をグネグネと這い、倒木だらけで、岩がゴロゴロと転がる独特の風景になっている。
そこから南に行くと溶岩は徐々になくなり普通の森や草原になる。
富士ヶ嶺公園は第2・第3・第5サティアンの跡地であり慰霊碑も建っている。だだっぴろい草原のような公園だ。
そこから富士山は神々しく見える。
■霊峰富士は宗教団体も引き寄せる? 伝説の「乾徳道場」を訪ねてみた
霊峰富士山は古来、宗教団体を引き寄せるようだ。
富士山周辺の新興宗教施設を調べると、白光真宏会、崇教真光、普明会教団、宇宙の宮、阿含宗、幸福の科学、神幽現救世真光文明教団、真如苑、創価学会、立正佼成会、普明会教団、生長の家……と枚挙にいとまがない。
富士山を信仰の対象とする浅間神社は貞観大噴火以前からあったし、江戸時代には富士講という山岳信仰が大流行した。それらが時に混ざり合って複雑な宗教体系になっている。
このように富士山に惹きつけられる宗教団体は多いが『乾徳道場』はすごい。なんと、樹海のど真ん中にあるのだ。青木ヶ原の謎の宗教として伝説になっている場所だ。
富士五湖消防本部河口湖消防署上九一色分遣所という施設の裏手にある精進湖口登山道という樹海の中を突っ切る登山道をひたすら登っていく。
歩いていくとよく鹿がピュンビュンと走り抜けて行く。テレビカメラを連れて3回この道を進んだが、3回とも鹿が現れた。ただし一回も撮影できなかった。鹿のガチ走りの速度は半端ではないのだ。
不安になるほどずっと登って行くと道が二股に分かれる。登山道から外れる左の道を進んで行く。
かつては工事現場のバリケードフェンスに木の板がかけられ「乾徳道場」と書道で書かれていたが、とっくになくなっている。
そこからまたしばらく歩いて行く。
道を違えたのではないかと不安になった頃にドーンと人工物が現れる。
四角い、ガレージのような現代的な建物だ。宗教団体と言えば古い神社のような建物だと思い込んでいたので少し意外だった。
しかし、意外ゆえに違和感はより強く感じた。その建物からよりもっと奥に進んでいくと、母屋らしき家が現れた。こちらは多少古かったが、それでも宗教施設という感じではない。昭和の一軒家、といった佇まいだ。
近づいていくと、シャッターに張り紙がされていた。
どれどれと近づいてみると
『祈りの言葉
実在者(おおがみさま)の御心が此の世に
顕れますように。
一、神(諸法実相)の国が開かれますように
一、凡ての人が神(諸法実相)に蘇りますように』
と書いてある。うわーやべー……と思いながらも。ここまで来て帰るのも悔しい。
勇気を持ってドアをノックした。
ドアはガラガラとあき、かなり年配の野村沙知代っぽいおばさんが立っていた。
「あら~何? ここを訪ねてきたの? 普通の人? 学生さん?」
と矢継ぎ早に聞かれた。怪しい人間ではないと伝えると、とりあえず中に入ってと言われた。
「今大事なプロジェクトが進行中なの。だから外部に情報が漏れるのはヤバイのよ」
と少し恐い顔で言われた。とりあえず半笑いでごまかす。
屋内はかなり広い。居間の隣には、修行部屋があり信仰の対象や黒板などが置かれていた。昔は信徒さんが通っていたそうだ。
しばらく経つと、家主である禿頭僧形のおじいさんが帰ってきた。おばさんが説明する。
「待たせて悪かったね。昨日までは違う場所にいたんだ。こうして会えたのは運命だね!!」
と熱く話はじめた。
「ここは道場なんだ。道という漢字の意味が分かるかね?
”米”を車に載せたら”迷い”になる。
そして”首”を載せたら”道”になる。道場に来るならば、真剣になって”首”を持ってこい!!」
わ~ちょっとこわ~い、と思いながらもうんうんと真顔で話を聞く。聞かないと殴られそうだ。
おじいさんがここへ来たのは戦後だった。太平洋戦争で軍に入隊したとたん、戦争が終わってしまって目的を失い、自殺しようと思って樹海をさまよったという。
そしてこの場所にたどり着いた。
建物の周りにある古いお墓のような碑を見ると、先程語った江戸時代に流行った富士講の碑だった。どうやら昔から富士山へ通じる道への、通過ポイントだったらしい。
おじいさんは、打ち捨てられた古いポイント地点に住み始めたわけだ。
おじいさんの話はかなり盛り上がっていった。
「ここは神の国が来る日を自覚する道場なのだ!! 神の国、そこには人類はいない!! 人がいない世界なのだ!! 私たちは人類を終わりにする仕事をしている。もうすぐその時が来るのだ!! 今日会えたのも運命、来る日に備えなさい!!」
と一気にまくしたてた。
なんともカルトな説教に、かなり萎縮してしまった。
しかし会話の後は途端に和んだムードになった。
「よかったらご飯食べていきなさい」
と言って、夕ご飯を出してもらった。
混ぜご飯、ジャガイモの煮物、漬け物と豊かな食事だったが、冷たかった。
電気はつけていないので、かなり暗くなってきて、おじいさんの顔もおばさんの顔もボヤッとしか見えない。なんだか悪夢の中にいるような気持ちになってきた。
そろそろ日が暮れる。
樹海の夜は本当に真っ暗だ。遊歩道とはいえ歩いていくのはかなり厳しい。
どうしようかと迷っていると「よし、下まで送ってやるよ」と言っておじいさんが立ち上がった。修行の成果でタタタタッと夜道を案内してくれるのかと思ったら、先程の四角い建物の前に行きガラガラとドアを開けた。中には立派な自動車があった。ガレージっぽい建物ではなく、ガレージだったのだ。
行きはあんなに大変だった道のりも車ではあっと言う間だった。自動車で運転するには、かなり難易度の高い道だが慣れているようでスイスイと走っていった。
山道を送ってもらってありがたかったが、樹海で孤独に暮らす宗教人が自動車でピューッと走るってどうよ? とも思った。
この10年以上、乾徳道場に行ってもお二人の姿はない。どこかで元気で暮らしてると良いのだが。