日本のほとんどが猛暑に見舞われている。18日には岐阜県多治見市では40度を超える酷暑であった。筆者の研究室のある伊勢崎市も同日で39度を記録していて、日本有数の暑さを体験した。屋外に出ると暑さの重みとでもいうものに囲まれて、まさに息をするのもつらい感じである。講義やゼミをうけている学生たちの体調への配慮は一教員としても気をつけたいところである。
夏にはあれほど迷惑な蚊でさえも35度を超えると活動が鈍ったり、また幼虫の生育に利用する水たまりが干上がることで個体数を激減させるという。ところが日本では蚊よりも断然に生命力が強く、さらに蚊以上に人間の生死を左右する生き物がいる。財務省という生き物だ。実際にはただ公務員試験を優等の成績で入省したことを、“エリート”と錯覚している日本国の正真正銘の寄生虫、ないし堕落した精神の化け物たちである。この“寄生虫”、ただし生命力だけは抜群である。そしてわれわれ国民の生死を握っているともいえる。
この財務省という“寄生虫”は、どのように国民の命を左右するかというと「予算」を出さないこと、つまり「緊縮」を行うことで我々を危機に陥れる。他方で、自分達は国民から奪った栄養で、天下りや天下り先を含んだ高給を食むのである。これが寄生でなくしてなにを寄生といっていいだろうか?
最近でもこの財務省の緊縮主義によって、酷暑はさらに勢いを増して若い人たちの生命を危険にさらしている。
文科省が昨年調査したところによると、公立小中学校で、空調(冷房)の設置率は、41.7%(前回29.9%、11.8ポイント増)であり、また幼稚園の設置率は、58.3%(前回41.3%、17.0ポイント増)、高等学校は49.6%(前回43.4%、6.2ポイント増)、同じく特別支援学校74.5%(前回67.5%、7.0ポイント増)だった。前回調査は三年ほど前に行われているので、かなりの進捗率であるが、それでもまだ不十分な数字である。
昨年の統計によれば、教育機関(小中高など)で熱中症になった人たちは4000件を超え、全体の7.6%ほどである。もちろん教室にクーラーをいれれば熱中症が防げるという単純な話ではない。運動系の部活動、校外や校庭での実習や休憩時間などの活動などでの熱中症対策もきわめて重要だ。だが、この猛暑が定着している日本で、大勢の人間が詰まった空間でクーラーなしで学習などをすることは不健康である可能性は大きいだろう。
このエアコン設置率がまだ半分程度でしかない主因は、財務省が文科省に予算を認めないことが最大の理由である。また政府(財務省)が地方自治体に協力してエアコン設置のための補助金を積極的に負担するなど教育にお金を使う発想がないからであろう。
さらにこの財務省の緊縮主義をサポートしているのが、中高年に蔓延する精神主義である。いわば暑さなど心の持ちようでどうとでもなる、とでもいう発想である。数年前に所沢市の市長はそのような精神主義的な背景で学校へのクーラー設置を事実上見送った。今年に入ってこの方針を転換したようではあるが、現状ではどうなっているのだろうか?
いずれにせよ、財務省的な緊縮主義には、清算主義的な思想が伴うことが多い。清算主義的な思想とは、簡単にいうと今日我慢すれば明日はもっと良くなるという思想である。例えば病気をしていてもそれを我慢して自分ひとりで耐え抜けば、以前の健康だったときよりもさらに健康になるという歪んだ精神主義である。もちろん病気であれば適切な診断と治療をうけたほうがいいにきまっているのだが、それを拒否したほうが“望ましい”とする思想である。この歪んだ思想はさすがに表に出し過ぎると批判も多いので、財務省的な「将来世代のために緊縮するのです」という理屈で繕うのが定番だ。だが、財務省の緊縮主義のために、いまの若い人たちの健康が損なわれてしまえば、「将来世代」をまさに見殺しにすることではないだろうか?
返済不用の奨学金の大幅拡充、小中学校の給食費や学用品の全額補助、学童保育の充実、教員の待遇改善、もちろんエアコン設置などなど、「将来世代のため」を本当に考えるならば、緊縮主義ではなく、積極財政しか解はない。
日本の寄生虫である財務省の側につくかどうか、そこに我々の将来への態度がかかっているともいえるだろう。