いやぁこの尾畠さん、今やすっかり時の人だねぇ。尾畠さんは魚屋だったって聞いてからなんか余計に身近に感じちゃって、この幼児発見のニュースを聞くたびにオレまで誇らしく思ってる。

魚屋のおやじってのは変わりモンが多いと思ってたが、この方も相当な変わりモンだねぇ。変わりモンっていうか、何事にもストイックなんだよね。なんかストイックって言葉をはやり言葉の一種みたいにみんな結構簡単に使ってるけど、ほんとにストイックってのは尾畠さんみたいなことを指すんだと思う。

「健康の最大の秘訣はとにかく体にいいものを食べる。これに尽きる。具体的に言うと、野草を集め、茹でて酢醤油で食べます。桑の葉がうまいですね。あと、たんぽぽもうまい。オオバコ、ドクダミ、ヨモギ……。どれも体にいい。こうした食生活は登山を始めた40歳の頃から続けていますが、誰かにおすすめしません。実際、家族でも食べているのは自分だけです」こんなことは普通じゃできないよ。

「軽ワゴン車に食料や水、寝袋を積み込み、助ける側から一切、力を借りないことが信条だ。「自己完結するのが真のボランティアだ」と尾畠さんは語る」

まったくこの一言に尾畠さんの信念が表れてるが、結局ボランティアってのはノリや勢いでやれるものではないってことなんだ。いくら素人とはいえ、自己完結できるそれなりのきちんとした準備と、ナニよりも強い覚悟を持って臨まなきゃいけないことなんだと思う。

特に災害復興などというプロでも難しいところに、半端な覚悟で行ってはいけないと思う。こーゆーまっとうなことを言う人が、同じ魚屋ってのがホントにうれしい。

ただ、このメディアの報道もまた異常だと思う。モリカケが一段落しちゃって、ニュースが枯れてた状態だったから、みんなが飛びついたねぇ。オレはテレビは視ねぇからよく解らないが、このニュースで尾畠さんのボランティア哲学ではなく、お礼を受け取らないことばかりがクロースアップされてしまっているように感じる。

このお礼を受け取らないことは、尾畠さんの哲学信念に基づいての話だから、大いに結構な話だと思う。だけどこのことばかりが美談として流されれば、ボランティア=無料奉仕でなければならないという誤った図式になってしまうのではないだろうか。

オレも災害復興なんていうハードなことではなく、こーやったらもう少し世の中良くなるんじゃねえ?的な非営利団体とかを立ち上げたことが、何度かある。もちろんその団体の立ち上げ費用から初動段階では、すべて言い出しっぺのオレの持ち出しだ。

またちょっとした集まりをやれば、場所も用意しなきゃならないし、お茶くらいは出さなきゃならない。場合によっては食事をごちそうしたりしなきゃならない。

皆、同じ問題意識と志で集まってくれてることには感謝こそしていたが、それだけでは続かないのが現実だ。だから少なくとも、その会が自力で運営できるように持っていくということが、当面の目標になる。運営資金作りに、例えばイベントをやったりしても「いいことやってるのにお金取るのかよぉ」という言葉を聞いてガッカリしたことが何度かあった。

また集まりへの参加も、自分の都合優先の人がとても多い。それは仕方ないことだし、ある面当たり前のことだと思う。オレも自分の仕事が優先になることも多々ある。この尾畠さんの記事を読んでみて、改めてボランティアという仕事には、それ相応の覚悟が必要なんだってことを改めて感じた。

どうも日本ではボランティアというと、お花畑的な美しさを持って語られるけど、実際にはもっと泥臭く、時には本業への厳しさ以上のことが求められるものなんだと思った。それでなければただの自己満足に過ぎないんだよねぇ。

結局、時間があるときに協力してやってるみたいな覚悟では、到底何事もなし得ないものだと思う。と、自省しきりのこの頃。