こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。

先日、イタリアのブランド「ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE&GABBANA)」(以下はドルガバ)が、CMの中で中国人への「差別的な表現」を指摘され、中国で不買運動が起こりました。

問題と指摘されたCM
https://www.youtube.com/watch?v=wHwTr2j0lxg

この件に関して、ドルガバの創業CEOとデザイナーは中国人に公式謝罪をしました。謝罪の最後には中国語「対不起(ごめんなさい)」と伝えました。

しかし、中国人らの間では「謝罪しても許さない」との声が大多数のようです。

日本の報道では、CMに翻訳がないため誤解を招くかもしれません。私が独自の翻訳をすると以下のようにな感じです。

まず、CM冒頭部分で「今日は彼女がお箸という棒切れのような道具で、イタリアの大なる食文化『ピザ』を食べようとするのをお見せします」とナレーション。そして、中国人(華僑)の女性が上品な洋服なのに、下品なお箸の握り方でピザを切り、それをお箸で食べる苦戦したシーンに、「Oh! チーズが落ちないように」と茶化すようなナレーションが付いています。

もちろん、ピザを食べる際には、フォークや手などの方が食べやすいですが、このCMの冒頭にあくまでも「お見せしましょう」という意趣で、私は「中国のお箸文化を冒涜する」というより、ゲーム感覚でのチャレンジ演出ではないかと読み取れました。

たしかに「イタリアの偉大なる食文化『ピザ』」と言った時点で、西洋白人特有の傲慢さを感じるかもしれません。中国市場向けのCMなのに、謙遜が欠かせるのは事実でしょう。 

そして、この「棒切れのような道具」という表現は、お箸文化を小馬鹿している感じと読み取られるでしょう。ただ、このような表現であれば、私にはまだ許容範囲であると感じられます。特に「許さない」「怒り」という気持ちはありません。まして、その会社の商品をボイコットするような過激な感情も起こりません。

これまでもコラムで書いてきたように、2014年の習近平政権以降、政府はナショナリズムを煽り、反日反米、排外主義を扇動しています。「中華民族の復興」というマニフェストで国民に愛国教育を強化し、GDPが世界2位であることや、中国人が世界各国に「爆買い」する現象を利用し、「硝子のプライド」を作り上げてきました。

その一方で、米中貿易戦争や中共の侵略拡張などが原因で、世界では経済・軍事の両面で「中国包囲網」が出来上がりました。孤立する異常な心理状態が、安易な被害者意識を生み、「差別した!」と外国人を激しく非難するようになったようです。そして一旦、「差別」と認定したら、相手がどれだけ謝罪しても許さない。現在の中国にナショナリズムを注ぐと、「韓国化」しかねない状況なのです。

■ポリコレを掲げても西欧人のアジア軽視は治らない

今回のドルガバの件に関しては、とある中国人のネットユーザーが、西洋人役者を使って、西洋の食器で中華料理を食べようとして苦戦した動画で「反撃」しました。

https://www.youtube.com/watch?v=lSvLDtLGJ3o

確かに西洋の食器で中華料理を食べようとするのは難しいでしょう。

動画のナレーションを大まかに翻訳すると「今日は、西洋のこういう金属製の道具で中華の偉大なる肉まんやラーメンを食べることをお見せしましょう」とドルガバのセリフをモノマネして、そっくり返してみせました。

いずれにせよ、洋食にはフォーク・ナイフ、中華にはお箸というのが最適でしょう。個人的には、どちらが優秀な工業デザインというと、「お箸」と即答します。棒二本で世界各国の料理をだいたい食べられる、汎用性の高い食器です。

この中国の素晴らしい発明”お箸”は、日本や朝鮮半島、さらにアジア地域でも広がった文化ですが、単純な食器としての機能だけではありません。子供の頃に親は「お箸をちゃんと握るのは人間としての教養」としつけます。すでに東洋の文化として確立されているのに、それを見下す欧米人は無知と言えるでしょう。

日本にも和食文化の一環としてお箸を丁寧に扱ったり、細かいルールがあります。日本のとある企業では、新入社員を面接する際に、お箸でガラスのビー玉を挟んで、ケースからケースに運ぶテストを行っていました。これは社員の「人柄」を測定です。ここでは、お箸をきちんと使い、慎重に掴みにくいビー玉を運べる人間は「真面目で穏やかな性格、かつ正しい価値観の持ち主」ではないか、と見なされたといいます。

ドルガバは今回の事件で中国だけではなく、お箸文化を浸透しているアジア諸国をも中傷したことになり、企業イメージのダウンは避けられません。しかしドルガバの一件に限らず、西洋人の白人至上主義はまだ有形・無形に残っていて、差別のない日本に持ち込まれているように感じます。

私のエピソードですが、先日も知り合いのドイツ人男性を誘って、一緒に書籍を作ることになっていました。私はさっそく出版社の社長と担当編集とライターさんに打ち合わせの日時をセッティングし、書籍の企画書まで書いていました。しかし、打ち合わせの前夜に、彼は「今は就職活動に忙しくて、書籍を作る暇がない」という理由でドタキャンしてきたのです。

そして同時期に、彼の来日の歓迎会を開こうと、日本人5人と約束したパーティーも、一週間前に他の用事があるとの理由でキャンセル。このドイツ人男性は私以外に、日本人8人との約束を気軽に破ったことに、ドン引きしました。白人がこんなに気軽にドタキャンする行為なんて、アジア人相手だからではないかと考えてしまいます。

日本では、昔から海外アーティストの”ライブキャンセル”は「半ば仕方ないこと」になっています。ポールマッカートニー、レニー・クラビッツ、さらにロシア人ユニットのt.A.T.u.にいたっては、生放送中にドタキャンして帰っています。これらも問題の根底に「欧米によるアジア軽視」という構図があるように思えてなりません。

いくらポリティカルコレクトネスを掲げて人権意識の高さをアピールしていても、欧米人のアジア蔑視はなくなりません。

■どんな国にも敬意をもって接する”日本”の特殊性とは?

在日中国人の私にとって「他国からの態度」は常に身に沁みて意識させられる問題です。D&GのCMを見れば見るほど、日本の企業には常に他国への「敬意」が表されていること痛感します。

中国人だけではなく、アジア人、殊に黄色人種は「イエローモンキー」と言われ白人に馬鹿にされることも多々あるのに対し、日本の企業が海外進出する時は、常に相手国の文化を尊重し、優秀な商品を鼻にかけず、世界のお客様に謙遜な接客態度で笑顔の対応しています。

そして、日本人はたとえ外国人に小馬鹿されたとしても、過激な抗議や仕返しはせず、寛容をもって紳士的な態度で対応します。

よく左派の人たちが「レイシスト」とプラカードを掲げて、差別反対運動をしていますが、彼らは世界に出たことがあるのでしょうか。彼らは往々にして「日本は差別的な国家だ」と口にしていますが、本当にそうでしょうか。黒人や女性問題にはポリコレを掲げて体裁を繕いながらアジア人を蔑視したり、一旦移民を受け入れておきながら問題化するとあからさまな対立を打ち出す国々よりも、はるかに暮らしやすい国だと感じています。