日本の左派勢力を「リベラル」と呼んで良いのかという議論が起こっている。きっかけになったのは、『産經新聞』の論説委員の阿比留瑠比氏が2月22日に書いた『左派のどこが「リベラル」か』と題するコラムだ。

同氏によれば、左派勢力は「リベラル」を自称するが、そのまま彼らを「リベラル」と呼ぶことに「政治記事を書くうえで、ずっと違和感を覚え」、「新聞表記上の一種のごまかしではないか」と思ってきたという。そして、リベラルとは左派が体よく「自らを偽装する言葉」なのではないかと提言した。

この発言にソーシャルメディアが反応し、「リベラルとは左翼と呼ばれたくない人をたちの自称」「彼は、ただ単に、リベラルと言う言葉に、酔っているだけだと思う」「うん!最初から、知ってた」「欧米でいう本来のリベラルとは別物だよね」などと同意する声が相次いでいる。

筆者自身も記事で、左派系議員を体裁上「リベラル」と表記して、複数の読者からお叱りを頂いた経験があり、世論の「抵抗を覚える」空気感は肌で感じている。

では、そもそも「リベラル」とは何なのか。元々はリベラリズム(自由主義)やリベラリスト(自由主義者)を指す用語で、「個人の自由や多様性を尊重する思想的な立場」だという。だが、日本の政界・マスコミでいう「リベラル」は世界的に見て特殊で単に「平和主義」や「左派」を指す言葉になっているようだ。青山繁晴参議院議員は『真相深入り 虎ノ門ニュース』(DHCテレビ)の中で「本来リベラルとは、人権と自由のためなら、武器を持って命がけで戦う人たち。リベラルの考え方が日本だけ孤立してる」としている。

また、ジャーナリスト・佐々木俊尚氏も『21世紀の自由論〜優しいリアリズムの時代へ』(NHK出版)の中で、「戦後メディア史の流れの中で言えば、五五年から九〇年代初頭までの昭和の時代、この勢力が名乗っていたのは『革新』だった。『進歩派』という呼び方もあった」「それがなぜリベラルに変わったのか。九〇年代になって冷戦が終わり、共産主義の失敗が明らかになり、共産主義陣営を指す革新や進歩派ということばが使いにくくなった」「それで代替用語として、進歩的なイメージがある『リベラル』が転用されるようになった」と解説している。

読売新聞社と早稲田大学現代政治経済研究所が共同で行った調査結果(2017年7月3日〜8月7日)によると、10代や20代前半にとっては、憲法改正に前向きで、経済政策や外交にも積極的な「自民党こそリベラルで革新的」と感じ、かたくなに憲法を守るという「共産党を保守的」だと感じているという。

若者の方が言葉に敏感なのか。左派勢力の希望そのままに「自称」を使うことは、ともすれば言葉本来の意味を変えてしまう、罪作りな行為なのかもしれない。