何十発と続く爆発! その合間を全力で駆け抜けるメイ! 今ではあり得ないことですが、CGの未だ無い時代、「特撮」の撮影現場は、大きな危険と、常に隣り合わせだったのです。そしてそんな環境は、当然のようにプロ意識を叩き込み、多くの俳優を生み出してきたのです。

こんにちは! チバレイです。

前回のコラムへの反響に、少なからず驚いています。色んな方から連絡を頂きました。曰く「良く言った!」と。

中でも、私の自慢の姉(!)杉田水脈議員がツイッターで拡散してくださり、結果更に多くの方の目に留まったのは嬉しい限りでした。


ちなみに杉田水脈議員は、知る人ぞ知る、子供の頃からの筋金入りの戦隊ファン。いまだに熱は治まるどころか、立派なオタクの域に達した方なのです。「昔から戦隊シリーズのピンクを演じてみたかった」「国会議員の役を作って出演させて」と、幼なじみの竹本監督(日本の特撮の第一人者)とのお酒の席で談判してるとか(笑)! 水脈姉ちゃん! 特撮のヒロインにはならなかったけど、熱い正義の血潮は、特撮で育まれたんだよね! 私の憧れ! 私の自慢のヒーロー(ヒロイン) だよ! 負けるな、愛国戦隊水脈レンジャー!


さて、「東映のドラマのオーディションだよ」と聞かされて行った会場。入り口には「戦隊」の貼り紙だけ。「戦争ドラマ?」と一瞬パニックになったのですが、何かしら空気が普通のオーディションと違っていました。自己PRでバック転したり、空手の型を演じたりする方も居らして……。

リカちゃん人形とともに育った私は、戦隊ヒーローとは全く無縁の人生でした。戦隊の意味するものが何なのか、知らなくて当たり前ですよね。


腹を括ったというか、開き直って受けたオーディションは、その後何度も繰り返し行われ、最終的に【戦隊シリーズ・恐竜戦隊ジュウレンジャー】のヒロインに決定!となったのです。

それまでのヒロインは容姿・演技と共にアクションも重視されていました。しかしこの作品は当時の東條昭平監督の、演技やアクションよりもアイドル性重視!の意向の下、選考がされたと後日聞きました。今思うと何だか複雑な心境です(笑)!


この恩人とも言える、東條昭平監督。その存在が、16歳の私には恐怖以外の何でも無かったのです(笑)。

■怒鳴る、叩く、爆薬の中を走らせる!? 地獄の現場が感謝の場に変わった瞬間

クランクイン初日。

オープニングのシーンからの撮影でした。

とにかく怒鳴る。もう怒鳴られっ放し。

台本を丸めて叩かれる。泣くと更に怒られる。ちょっとでもセリフに福島訛りが出たら怒鳴る。演技がダメ、殺陣がダメ、発声がダメ、とにかく常に怒られる毎日の始まりでした。他のメンバーも怒られてばかりでした。

「今回のピンクはすぐ泣くな」と言われてたとか。

撮影に入る前に受けた殺陣と、マットを使った転がり方の訓練の段階で、既に泣いてばかりいましたからね。

「もう嫌だ! 辞めたい!」なんて考える暇もないくらいのハードなスケジュール。朝は5時出発なんて当たり前。今の様にCGなんて有りません。爆薬の雨あられ。スタントの方が居るにも関わらず、走らされ、転がされての満身創痍。それでもボロボロになった女子高生の私は、現場に教科書を持ち込み、空いた時間に勉強してました。絶対に卒業するんだ!と。

撮影も半ば進んだある時、訛りを叱られる事が無くなった事に気がつきます。そうです、度重なる厳しい指導で、いくら注意しても出ていた訛りがなくなっていたのです。


俳優としての勉強をさほど受けず、文字通り体当たりで演技していましたが、怒られ、怒鳴られ続けることで監督が目指し、求める方向性を何となく掴み、理解できるようになったのでしょう、台本で叩かれる回数もずいぶんと減ってきました。


そうすると徐々に、周囲を冷静に見渡せるようになってきます。ほんの少しですが自信もつき、ようやく俳優として半人前といったところでしょうか。

現場は常に大勢のスタッフが居ます。一人一人への気遣いと、大きな声での挨拶は絶対欠かせないことでした。これは今も私の中で、しっかり根づいています。

全50話の中で、千葉麗子演じるメイが主人公になる回がいくつもありました。その全てを「メイの話は俺が全部撮る!」と、東條監督は他の監督さんに任せなかったのです。メイ姫の回は特にファンタジー溢れるストーリーが多く、メイは可憐で、純真な女の子として、素晴らしく演出がなされています。


東條監督の厳しい指導には、「俳優を育て、良い作品にする」という強い信念があったのだと思います。その上で愛情を以て厳しく、理不尽とも思える指導をしていたんだと。もちろん、それに気づくには、ある程度の時間が必要でした。

その後の、ドラマやラジオの現場は、とにかく楽に感じました。いつも「東映の現場に比べれば」って思えましたから(笑)!

■ブラックだからこそ育つ「プロ」もある!? 「個より公」の精神が支えた日本の高度成長

平成の初頭。当時の撮影所には、昭和の映画を担ってきた人たちが、未だ多く居ました。今日ではパワハラで訴えられてもおかしく無い程の、凄まじい怒鳴り声と叱責。ロケバスにはトイレもないし、身体中いつでもあざと傷だらけ。今では完璧にブラック認定されそうです。でも、当時はそれが普通、当たり前でした。

そんなピリピリした厳しい中で、カメラ、音声、照明……とそれぞれのセクションで、人が人を育て、プロの誇りある仕事が産み出されていたのです。まさに職人の世界、日本的な徒弟制がそこにあったのです。

東映にも労働組合は存在します。

かつて劣悪な労働環境を改善すべく、会社側と交渉を重ね、時にストライキをしながらも、「より良い映画作品を創る」という大義を、労使共に共有していたと聞きます。当時と比べ、労働環境は素晴らしく改善されています。


東映に限らず、かつての労使間には、上手にバランスを取り、可能な限り譲歩しつつも、最良の結果を出すという、誠実な(?)駆け引きや、健全さ、ある意味の良識と、豪胆さがあった様に感じます。

私は法で定められた以上、労働組合という存在を否定はしません。労働基準法、あるいは労働組合法も遵守します。

しかし! しかしながら、先日、あるバンドの『HINOMRU』という曲に抗議した街宣車が、とある労働組合の車体と一致してるのではないかという話題がソーシャルメディア上を賑わせました。

(※:上の「一致した」話題とは別件で、同抗議のニュース)

また、デモや集会に組合員(一般社員)を動員し、その日当や、経費は組合費から賄う様なイデオロギー色の強い、「政治活動としての労働組合」の在り方には疑問どころか、不快感さえ感じます。同時に、労働問題と称して企業を陥れ、恐喝するような組合は、消えて無くなれば良い、とさえ思っています。

今の労働組合の活動は、およそ日本的ではない、他の国の出来事のように思えて仕方ないのです。もちろん、真面目に労働者の為に活動する組合もあると信じています。

労働は「個人の生活の為の、糧を得る為の職場」であることを前提とします。が、かつては個人が仕事を覚え、成長すること、良い仕事を行うことで、社会に貢献するといった、【個より公】の方により比重が置かれていたように感じます。それが社会人だと。もちろん前時代的、封建的な側面も少なからずあり、現代社会に適さない部分も有るとは思います。しかしその労働のあり方が、戦後日本の高度成長を支え、今日の繁栄を築いた事は紛れもない事実です。

もしも今日、同様のことを求めたらどうなるでしょう?「即、労働基準局へ通報!」「組合介入で、団体交渉からの解決金支払い!」なんてことに。「24時間働けますか?」なんてCMは「36協定違反を煽る」とのクレームから放映中止かも(笑)!

先人が苦労して築いた繁栄にどっぷり浸かり、厳しさや、努力を避ける。一生懸命な姿勢は「ウザイ!」の一言。こんなのはおよそ日本的ではないと感じます。労働組合の言い分一辺倒では「プロ」は育たないし、第一、国際社会での過当競争に勝ち残っていけるのでしょうか。あ… 仕分け大臣に怒られそうですね(笑)! 別に「一番である必要はありません」からね(苦笑)……。

歴史に「たら・れば」はありません。それでも、もし個人優先の米国的労働概念・組合の考え方が、GHQによって導入されなかったら。「労働階級とブルジョアジーの階級闘争」とする「あの」思想と、赤い旗を防げていたら……もっと現代日本に適した、日本人らしい日本の労働環境・組合・社会が作り出されたのでは無いか!と思えて仕方がないのです。

私は東映という、古き日本的な職場環境の中で育ちました。いえ、叩き込まれました。そこは完全なる師弟制度・徒弟制度の世界でした。そこでプロとしての自覚と技量を身につけることができました。そして、それは今も私の誇りであり、絶対に揺るがない「根っこ」なのです。