西日本を広範囲で襲った猛烈な豪雨は、各地に深刻な被害をもたらした。死者・行方不明は200人を超えている。また道路・鉄道・上下水道などのインフラ網は破断され、復旧の見通しの立たない場所も多い。浸水や土砂崩れなどでの住宅など生活拠点の喪失も深刻である。猛暑の続く中での避難生活の困窮なども深刻な状態だ。まだ被害の全貌は明らかになっておらず、現状では豪雨からの救援活動やまた緊急の復旧が最優先されている段階である。
このような大災害をもたらした記録的な豪雨は確かに例外かもしれない。だが豪雨自体は、国民の多くが認識しているように例外ではなく、むしろ常態化している。統計によれば、一時間の降水量50ミリ以上の豪雨の年間発生量をみると、昭和52年から平成元年までは平均173回だったものが、平成15年から平成27年にかけては233回とほぼ30%強も増加している。気象庁のホームページによれば、一時間で50ミリの降水量とは、「滝のように降る(ゴーゴーと降り続く)」となり車の運転が危険なほどだという。
豪雨を原因とする自然災害を予防するために、河川の護岸工事や地滑りなどを防ぐ治山事業などインフラ整備が求められているのは、この豪雨の発生件数からみても理解するのはたやすい。しかも東日本大震災以降、地震も発生回数を増大していて、まさに災害対策は国民の命と生活を守るためにきわめて重要な位置にある。
だが、政府や地方自治体などの防災のためのインフラ整備のための政策は、充実しているとはいいがたい。その原因は、90年代から続く財務省(旧大蔵省)の緊縮主義の継続である。
■インフラ投資を減少させてきた緊縮主義、石破氏「防災省」の裏に増税も?
中央大学教授の浅田統一郎氏は、90年代真ん中からの名目公的資本形成(政府のインフラへの投資など)が急減してしまい、2010年代に入る直前にはほぼ半減してしまったことを指摘している(『危機の中で<ケインズ>から学ぶ』ケインズ学会+平井俊顕監修、作品社)。
特に21世紀に入り、森政権から小泉政権にかけての減少は顕著である。麻生政権でリーマンショック対応で増加にやや転じたものの、また民主党政権で減少に転じた。「コンクリートから人へ」の政策の転換であるが、ただしこの傾向はいまも書いたように90年代から一貫して続いている。これが増加するのは安倍政権以降であるが、それほど目立つものではない。
要するに財政政策のこの緊縮スタンスは、まさに日本の長期停滞と歩みを同じくしている。他方で金融政策も安倍政権以前までは緊縮スタンスであり、この金融政策の緊縮スタンスと財政政策の緊縮スタンスの両者が、日本の失われた20年をもたらしたといえる。ただし現状では、金融政策は緩和スタンスであり、これが日本経済の雇用の改善ととりあえずの長期停滞からの離脱を可能にした。その意味では金融政策は長期停滞脱出の必要条件であり、さらに再び長期停滞に戻らないためには財政政策の緊縮スタンスを捨て去る必要がある。
だが、その見通しは現状では立っていない。立っていないどころか、今回のような自然災害の激増を背景にしても、財務省とそれによりそう政治家たちは、人命を損なうことになる財政の緊縮スタンスを捨て去ることはしない。
財政の緊縮主義を採用する石破茂氏は、最近、「防災省」を提起した。だが評論家の石平氏らが指摘するように、災害の「政治利用」の匂いがする。また石破氏のような緊縮主義者が防災を唱えるときは、それは増税での資金調達と表裏一体かもしれない。
防災のためには増税ではなく、長期の国債(復興国債など)を発行してお金を集めるのが経済学のすすめる常套手段である。その方が経済的負担を将来にまたがって分散することができて望ましいからだ。また長期国債を新たに発行すれば、それを日本銀行の金融緩和政策によって無理なく吸収でき、むしろ経済の安定化に大きく寄与するだろう。したがって「財政危機」などの心配もない。しかしかって東日本大震災のときに、財務省と緊縮主義の政治家たちは、「復興税」を推進した。今回はどうなるのか注視するべきだろう。
■民主党政権「コンクリートから人へ」が残した負の遺産
ところで民主党政権のときの総理大臣のひとりだった鳩山由紀夫氏が以下のようにツイートしている。
「川床をコンクリートで固め、林野の保全予算を大幅に減らせば洪水被害は増えるのは当然です。地球温暖化で災害の規模が大きくなることも周知のこと。十分な手立てを怠ってきた責任は大きい。」
https://twitter.com/hatoyamayukio/status/1016602842864316417
だが、上にも書いたように、防災のための予算を緊縮させていた責任は、民主党政権にもある。しかも鳩山氏がツイートで強調している防災のための「林野の保全予算」については、民主党政権の時代に大幅に削減されている。
例えば、林野庁の治山事業の予算をみてみよう。この事業は「集中豪雨、流木等被害に対する山地防災力を高めるため、荒廃山地の重点 的な復旧・予防対策、総合的な流木対策の強化により、事前防災・減災対策 を推進」(林野庁予算概要の説明より)するものである。この予算推移をみると、2008年度は1052億円、09年度は991億円だったものが、民主党政権では688億円(10年度)、608億円(11年度)、574億円(12年度)と急減している。
これは同党の「コンクリートから人へ」という政策、つまり公共事業の極端な削減方針の結果ではないだろうか? つまり緊縮主義が90年代から継続しているにせよ、民主党政権はそれをさらに加速させていたように思える。少なくとも鳩山氏の発言はこのデータからみると、むしろ自らの過去の責任に無頓着ではないだろうか。もっとも安倍政権もわずかに増加に転じてはいるものの、この「民主党政権の負の遺産」(治山事業の削減路線)を継承しているように思える。
豪雨災害には、自然の恐ろしさと同時に、政治や官僚たちの政策のミスが実は隠されていて、それがわれわれの生活を危機に陥らせているともいえる。そのことを単に机上の教訓にするだけではなく、実際の政策の転換に結実させなくてはダメだ。