オレは自慢じゃねぇが、まぐろ屋のせがれで、うなぎ屋の孫だ。とっても残念なことに今や、その両方ともが「絶滅危惧種」に指定されてしまってる。

こんな出来の悪いオレが分不相応な学校に入れてもらったり、大人になってからもいい車に乗れたりしたのは、元を正せばマグロやウナギのおかげだったと思ってる。ってなわけで甚だ微力ではあるが、罪滅ぼしの意味もあり我が国の水産資源管理を推進しようと、オレなりに知りうる限りの知識ではあるが、発信を続けてきた。

毎年、この時期になるとマグロやウナギが資源的にヤバいってことが、多少なりとも話題になってくるようになった。

もちろんオレだけじゃねぇが、資源の危機を訴えてきた人々の努力が実ってきた証拠だから、うれしいと思う反面、正直言って「時すでに遅し」の感があることは否めない。

そして悲しい現実がこれだ。

<「2017年 土曜の丑の日に関する調査」では、全体の30.3%が「土用の丑の日にうなぎを食べない」と回答。その理由を聞くと上位は「高価だから」「好きではないから」「土用の丑の日に限らず、自分が食べたいときに食べるから」という回答が上位に並んだ。「ニホンウナギが絶滅危惧種であるから」は「食べない派」のわずか4.3%。つまり「環境が気になるから食べない」全体のわずか1%しかいないということになる>

オレは水産資源の危機を訴えるのに「おいしい日本の魚をかわいい子や孫、またその孫子の代まで未来永劫食べ続けるために、今を生きる私たちが考えなければ」的なロジックでやってきた。まったく無力感に苛まれてくる。いったい意識高い系はどこにいるんだい?

じゃ水産資源を守るために「一般消費者が何をすればいいのか?」という問いに対し、浅学非才なオレはいつも答えに窮してしまう。

もっとも短絡的な答えは「魚を食べないこと」になる。しかしこれも違っていて、今ここにある魚をみんなが食べないということになると、大量の無駄につながってしまうことになる。それこそ生命そのものを廃棄することであり、本当にもったいないってことになる。

じゃ、少しでも資源にやさしい捕り方でとられた魚を選ぶようにすればいいのかもしれないが、水産物のトレースが整っていない日本では、ほぼ不可能だ。

それでも近年より一部スーパーでは「持続可能な漁法で捕られた魚」を認証するシステムを導入している。ちょっと関心を持ってほしいと思ってる。

ぶっちゃけ言ってしまえば、この水産資源問題に対し消費者ができることは、認証された魚を選ぶ程度のことしかなく、ほとんどが政治行政の問題なンだ。

■機械化の普及で絶滅の危機に瀕している、ウナギ専門店の職人技

さて当のオレは丑の日の前後で、今でもウナギを食べている。丑の日を入れてあえて年に2~3回は食べるようにしている。なんだっ!おめぇ言ってることが矛盾してるじゃねぇか!とお叱りの声が聞こえてきそうだが、オレはナケナシの諭吉を握りしめて、専門店に行くことにしている。

ウナギ資源は心配なのは確かだが、同時にそれを料理として供する専門店も守らなければいけないと思ってる。

ウナギのかば焼きってのは「串うち3年、裂き8年、焼きは一生」といわれる職人技に支えられてきた。こないだも寿司屋のおやじと話したんだが「裂いたばかりのウナギに竹串を打つなんて、とてもじゃねぇがオレにはできないねぇ」と言ってた。たかが串打ちだよ?

専門店は必ず生きてるウナギを使っている。まずはじめ生きたままのウナギを裂く。これも相当難しい作業だが、生きたまま裂かれたウナギを身がゴリゴリに固くなってる。死後硬直ってやつだ。ココに折れやすい竹串を刺す。素人がやれば竹串を折るか、変なところに刺し突き抜けてついでに自分の指を知すのが関の山だ。

あえてすべての詳細は書かないが、裂き、串打ち、素焼き、蒸し、たれつけ焼きの工程があってウナギのかば焼きは完成するものなンだ。そしてこの一つ一つの工程が、何年も修行しねぇとできないものなンだ。

確かに今は加工する機械がよくできている。手仕事と比べそん色ない出来のかば焼きもあるにはある。それで良いというならそれもいい。でもねぇ、ガキの頃、オレの爺さんがその一つ一つの工程を丁寧にやって、作ってもらったかば焼きが忘れられねぇんだよねぇ。

そんな日本の職人芸ってのも、ウナギとともに失いたくないんだよなぁ。つたないオレの結論でござい。