オスマン帝国時代に帝都として栄えたトルコ最大の都市イスタンブールには、当時のスルタンや高官たちが建てた宮殿や邸宅が数多く残されています。

旧市街のトプカプ宮殿、白亜の宮殿とも称されるドルマバフチェ宮殿、現在はホテルとして利用されているチュラーン宮殿、ボスポラス大橋の袂に建つベイレルベイ宮殿など、数え上げるときりがありません。

そんな数ある宮殿の中でも、アール・ヌーヴォー様式の建築が一際美しい、チュブクルの丘の頂上にある宮殿、ヒディフ・カスル(Hidiv Kasrı)をご紹介しましょう。

イスタンブールはボスポラス海峡によって大陸がヨーロッパとアジアに分かれる街です。ヒディフ・カスルはアジア側の海峡沿いのベイコズという街のチュブクルにある宮殿です。そのためチュブクル宮殿(Çubuklu Sarayı)と呼ばれることもあります。チュブクルは、オスマン帝国時代の高官や裕福な人たちがこぞって別荘や邸宅を建てたエリアとしても知られています。

ヒディフとは、1800年代から1900年代前半までオスマン帝国が支配下に置いていたエジプトにおける統治者の肩書です。この宮殿は、イスタンブールに住んでいたスルタンや高官ではなく、当時のエジプト副王アッバース・ヒルミー2世により造られたものなのです。

アッバース・ヒルミー2世は、19世紀初頭から約150年間エジプトを支配したムハンマド・アリー朝の第7代君主で、オスマン帝国のエジプト副王として1892年から1914年まで任務を全うしました。

前任者とは違い、彼はオスマン帝国と友好的な関係を求めていました。オスマン帝国とこうした関係性を築くことは、1882年から続いていたイギリスによるエジプト支配に有利であると考えていたのです。

彼はオスマン政府と関係を強めていく中で、帝都であるイスタンブールに何度か訪問し、その際にスロベニア人の建築家に夏の間に住まう宮殿をボスポラス海峡沿いに建設するように命じました。

宮殿は1907年に完成し、ルネサンス時代のイタリアの別荘を思わせるようなアール・ヌーヴォー様式がなんとも美しい造りに仕上がりました。

青い空に映える真っ白な大理石の外観はもちろん、内部の装飾の細部にはネオクラシックのオスマン建築様式も組み込んで造られました。天井を覆うステンドグラスは、この宮殿一番の見どころになっています。

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