1600年9月15日、徳川家康の率いる東軍と石田三成の率いる西軍、合わせて15万人以上が激突し、わずか1日で天下の行方が決まった「関ケ原の戦い」がありました。その舞台となった岐阜県不破郡関ケ原町には、関ケ原の戦いの開戦地や島津義弘陣跡、笹尾山の石田三成陣跡、桃配山の徳川家康最初陣地など武将たちの陣跡や史跡が今も数多く残っています。

「関ケ原合戦の日」ののろし上げと演武

天下分け目となった関ケ原合戦が旧暦9月15日だったことにちなんで、関ケ原町では毎年9月15日に黒田長政らの陣跡、岡山(丸山)烽火場から、開戦を告げるのろしが上がります。2026年9月15日も、地元の町民有志らで結成される「関ケ原もりあげ隊」によるのろし上げと「関ケ原鉄砲隊」の演武が行われました。

黒田長政とともに岡山(丸山)に陣を構え、戦機を見て、合戦開始の合図となる狼煙を上げたのが竹中重門です。(写真は古戦場おもてなし武将隊 関ケ原組の竹中重門)標高164メートルの丘陵地である岡山(丸山)は見晴らしがよく、戦況を把握するのに適していたのでしょう。

午前8時、町内に法螺貝の音が鳴り響き、関ケ原鉄砲隊による迫力の演武が始まりました。関ケ原鉄砲隊は平成24年に発足した団体で、現在は女性隊員2名を含む12名の隊員にて、火縄銃の保存伝承活動と天下分け目の関ケ原のPR活動に取り組んでいるとのこと。

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