「イスタンブール歴史地区」として世界遺産に登録されている、トルコ最大の都市イスタンブールの旧市街には、その独特の景観を構成する個性あふれる建造物がたくさんあります。
ローマ帝国時代のギリシア正教の寺院であったアヤソフィア博物館や、オスマン帝国時代にスルタンたちが住まったトプカプ宮殿、トルコ史上最高の建築家と評されるミマール・スィナンが設計を手掛けたモスク、モスクの運営を維持するために造られた迷路のようなバザールなど、数えだすときりがありません。
そんなイスタンブール旧市街のガラタ橋の袂にある、一際目を引く立派なモスクがイェニ・ジャーミィです。天に突き刺さるように真っ直ぐ伸びるミナーレとドーム状の屋根の美しい建築が特徴のこのモスクは、旧市街のエミノニュ地区のみならずイスタンブール歴史地区を代表するモスクで、改修工事中であるにも関わらず、毎日の礼拝の時間には多くの人が集まります。
「イェニ・ジャーミィ(Yeni Cami)」つまり「新しいモスク」は、当初は「ヴァリデ・スルタン・ジャーミィ(Valide Sultan Camii)」つまり「母后のモスク」として建設が始められましたが、その複雑な歴史の中で「イェニ・ヴァリデ・スルタン・ジャーミィ(Yeni Valide Sultan Camii)」「新・母后のモスク」として完成し、現在では「イェニ・ジャーミィ」と呼び親しまれています。
では、この母后、そして新しい母后とはいったい誰のことなのでしょうか。
イェニ・ジャーミィは、1597年にムラト3世の妻であるサフィエ・スルタンの命によって建設が始められました。これは彼女の息子のメフメト3世がスルタンの座に就いた1595年から2年後のことでした。メフメト3世は政治にはあまり興味を示さなかったため、実際は母后であるサフィエが政治、そしてハレムにおける権力をも握っていた時代でした。
イェニ・ジャーミィの建設も、サフィエの宗教心からというよりは、自身の権力や名声を高めるためであったともいわれています。
しかし、サフィエの存命中にモスクの建設は達成されませんでした。息子のメフメト3世が1603年に亡くなって以来、サフィエは母后という権力を失い、それはモスクの建設にも影響が及んだのです。
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