東西の文化が入り混じるトルコ最大の都市、イスタンブール。この街は黒海からマルマラ海に注ぐボスポラス海峡によって大陸がヨーロッパとアジアに二分されています。ヨーロッパ側は、金角湾によってさらに旧市街と新市街に分かれており、エリアごとに街の雰囲気が異なるのは、イスタンブールならではの魅力です。

ヨーロッパ側新市街には、西洋化、近代化を目指した頃に建設されたオスマン帝国時代の美しい宮殿やモスクが多く残っています。そのなかでも、まるでヨーロッパの宮殿のような美しい内装が特徴的なモスク、ドルマバフチェ・ジャーミィをご紹介しましょう。

ドルマバフチェ・ジャーミィは、新市街のベシクタシュというエリアにあります。サッカーの試合が行われるボーダフォンアリーナの目の前にあり、このスタジアムと並んで、ベシクタシュの街を象徴する建築物の一つとなっています。

ドルマバフチェ・ジャーミィは、1853年、当時のオスマン帝国31代目の皇帝アブデュルメジト1世の母であるベズミャレン・ヴァリデ・スルタン(Bezmialem Sultan)の命により建設が始められました。彼女はこのモスクだけではなく、イスタンブールやメッカに病院を建設させたほか、金角湾に橋をかけさせたり、街中に泉亭を造ったり修繕させたりするなど、存命中は母后(ヴァリデ)の権力を利用して様々な建造物をつくらせ、街の発展に貢献しました。

このモスクの設計を任されたのは、18世紀から19世紀にかけてオスマン宮廷に仕えていたアルメニア系建築家のバルヤン一族の子孫にあたるガラベット・アミラ・バルヤンです。

ガラベット・アミラ・バルヤンは、オスマン帝国最後の王宮であるドルマバフチェ宮殿の設計も手掛けたことでも知られています。彼は、近代改革に熱心に取り組むアブデュルメジト1世の治世にオスマン宮廷に仕え、バロックやロココ、ネオクラシックといった西洋の建築様式を従来のオスマン建築様式と折衷させることに成功しました。

そのことからもわかるように、モスクの内部はまるでドルマバフチェ宮殿を思わせるような豪華絢爛な装飾が施されており、非常に華やかな印象を受けます。一目見ただけでも、従来のオスマン帝国時代に造られたモスクとはまったく異なる空間が、そこに広がっていることがわかるでしょう。

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