タデ科の植物である藍を染料として用いた染物「藍染め」。

実は藍染めの布の歴史は古く、エジプト、インドはもちろん、中南米やアフリカでも古くから世界各地で利用されてきました。

日本における藍染の歴史は、諸説ありますが飛鳥時代から奈良時代に中国から持ち込まれたといわれています。

その後、武家社会が確立した鎌倉時代以降、藍染の衣服は武士が好んで身につけたため、より発展していきます。武士が好んで身につけた理由は、その色が戦に「勝つ」ことに通ずるところから。

かつて藍染した濃紺の色は「褐色」と呼ばれいました。現代では「褐色」は茶色がかった色を示しますが、中世から近世の日本では濃い藍色を指す言葉だったそうです。

また音だけでなく、藍染された布には傷の化膿を防ぐ殺菌効果や、止血効果があるとされたため、藍染の下着が武士の間で広まっていったそうです。

戦国時代が終わり江戸時代になると、全国各地で流通に便利な藍玉の生産が盛んになりましたが、中でも特に阿波藩(現在の徳島)のものは良質として知られ、全国でも屈指の産地として知られるようになります。

吉野川流域の肥沃な土地を持つ農村は、藩の殖産事業として藍を奨励されたこともあり、日本最大の藍の産地として知られていました。

しかしながら、明治時代後期には安価なインド産のものや合成染料によって打撃を受け、さらに第二次世界大戦中には食料優先のため、栽培禁止の作物なってしまったため、徳島の藍は大打撃を受けてしまいます。

栽培禁止となった戦時中、徳島では藍師・佐藤平助さんが林の中の目立たない場所でタデ藍の栽培を続けたことで、絶滅してしまう可能性があった徳島の藍は現在までその歴史と伝統が伝承されています。

そんな先人たちが積み重ねてきた徳島の歴史ある伝統工芸を体験できる施設が今回ご紹介する藍住町にある「藍の館」です。

藍染め体験は、藍の館の敷地内の一部「藍染め体験場」で体験することができます。

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