ヴィリー・ブラントの最大の功績ともいえるのが、さきほども触れた東方外交。首相に就任してからは東ドイツに関して「相手を国家として認めない」という態度を改め、対等な立場で話し合いをする事で問題解決の糸口をつかもうとしました。このほかソ連やポーランドにも歩み寄って関係改善につとめ、これらの功績により1971年にノーベル平和賞を受賞しました。
また1972年には東西ドイツが武力行為を放棄して関係を正常化する事を定めた「東西ドイツ基本条約」が締結。実現不可能とさえ言われていた東西ドイツ統一への第一歩となったのです。
1974年には秘書の一人に東ドイツのスパイ容疑が持ち上がったことで辞任に追い込まれたヴィリー・ブラント。彼がいなかったら今のドイツはなかったかもしれないと思うと、その業績の偉大さが実感できるでしょう。それを称えるかのように彼の名前を冠した通りや広場が各地にあるほか、所属していたSPD本部ビルの名称も「ヴィリー・ブラント・ハウス」。
さらには2020年10月に開業予定のベルリン・ブランデンブルク国際空港も、副名称がヴィリー・ブラントとなる事が決まっています。
東方との歩み寄りや東西ドイツの基礎を築くなど、多大な功績を残したドイツの政治家ヴィリー・ブラント。リューベックのヴィリー・ブラント・ハウスは、彼の生涯や偉業を肌で感じることのできる貴重な場所です。
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