それと同様、内部も一見したところ派手さはありませんが、原始キリスト教の墓石や1270年に造られた聖母礼拝堂など、数々の歴史的な見どころが詰まっています。
特に興味深いもののひとつが、北翌廊にある「チャプター・ドア」と呼ばれる木製の古いドア。
これは1492年に、対立していたオーモンドのバトラー家とキルデアのフィッツジェラルド家が争ったときの名残です。
バトラー家が教会に逃げ込んだ後、ジェラルド・フィッツジェラルドがこの扉の穴から腕を出し、両家が握手を交わして和解が成立。この出来事がもとで、英語の「chance your arm(一か八かやってみる)」という表現が生まれました。
この大聖堂にゆかりの深い、有名な作家の存在も忘れてはなりません。
聖パトリック大聖堂の歴代司祭のなかで最もその名が知られているのが、「ガリバー旅行記」を著したジョナサン・スウィフト。
彼は1713年から1745年まで大聖堂の首席司祭を務め、社会の不平等さについて説教を行い、恵まれない人々に手をさしのべました。
入って右側の床下には、ジョナサン・スウィフトと彼の永遠の恋人ステラが埋葬されており、その横にあるショーケースでは、ジョナサン・スウィフトのデスマスクや頭蓋骨のレプリカなどが展示されています。
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