島根県・松江で2月22日、『第13回 竹島の日』行事が開催された。竹島の日は05年に島根県が「竹島問題についての国民世論の啓発を図るため」に制定したもの。菅義偉官房長官(69)は「日本の立場を積極的に発信させていく点から」、6年連続で政務次官級を派遣した。

だが、同日の朝のワイドショーは、各局こぞって「猫の日」を特集し、かわいい猫耳当てをした女子アナウンサーがユーモラスな猫の映像など紹介していた。BSジャパン(テレビ東京系)にいたっては、1日限定で「BSニャパン」に改名して、終日、関連番組を多数放送する力の入れようだった。

猫の鳴き声が「ニャーニャー」であることにちなんでの微笑ましい記念日であり、それ自体はたいへん結構なことだが、同日が日本人にとって忘れてはならない「竹島の日」をほとんど伝えていないのに憤りを感じた人も多かったようだ。SNSメディアや掲示板には「ワイドショーは猫、猫、猫。猫は好きだけど全く竹島の日に触れないのはどうかと思う」「テレビは日本人の脳裏から竹島を消し去りたいのか?」「猫の日<竹島の日」「ていうか、ニャーニャーなら2月2日が自然じゃない? 意図的に2月22日にぶつけて竹島の日を忘れさせようとしてる気がする」などと批判の声が飛び交っていた。

■李承晩ラインで韓国が漁師を拿捕、うち8名が死亡

戦後の混乱が続く1952年1月。韓国・李承晩大統領が独断で公海上に排他的経済水域の境界線を設定。「海域内への無断立ち入りは許さない」と手前勝手な宣言をした。これが悪名高き「李承晩ライン」である。日本は「国際法上の慣例を無視した措置」と抗議するも、当時は自衛隊も存在しなかった。3ヶ月後のサンフランシスコ講和条約の発効で、韓国が竹島の領有権を失い、日本に主権が戻ることを見越した、まさに「どさくさまぎれ」の宣言であった。

その後、日本の漁師たちに待っていたのは過酷な運命だった。「海上保安白書」(1966年)によれば、65年に日韓間の国交が回復するまでに、韓国政府は327隻もの日本漁船、3911人の漁師を拿捕、そのうち8人が死亡した(※竹島だけでなく戦後韓国に受けた被害漁師の総数)。『日本被害史』(オークラNEXT新書)によれば、20帖あまりの板敷きの部屋に40人ほどの日本人が拘留され、刑務官らに暴行されたという。出される食事も石ころや藁が入った麦汁など劣悪なもので、収監所内には南京虫が繁殖し、腸チフスまで発生。日本から送られる物資や差し入れも看守たちが横流ししていた。

「竹島の日」はそんな日本の漁師たちの哀しい歴史を思い出す一日でもあるのだ。民放各局には猫の日よりも、まずは竹島の日を取り上げてもらいたいものである。