プロインタビュアーの吉田豪が、いまもっとも旬で、もっとも注目する人物に直撃するロングインタビュー企画。今回のゲストは、“JAPANESE R&E(リズム&演歌)”の旗印を掲げるロッバンド「怒髪天」を率いる増子直純さん。

エモーショナルな熱い音楽で支持される怒髪天ですが増子さんの人生も濃厚そのもの。そんな増子さんの人物像を全3回に渡って掘り下げていきます。

怒髪天 増子直純×吉田豪(2)「俺を嫌だなと思ってるやつが嫌な思いするなら、いくらでも頑張れる」|インタビュー

■怒髪天はもともと愚連隊みたいなものだった

──増子さんとのつき合いはそれなりに長いんですけど、インタビューは初めてです! 最初に会ったとき、いきなりボクのインタビュー本『人間コク宝』を大絶賛してくれたのが印象的でした。

増子 ハハハハハハ! つき合い自体は長いからね。あと共通の友達がめちゃめちゃ多い。変な感じの人たちばっかり。

──そしてボクは増子さんの人生が大好きで。

増子 いやいやいや(笑)。

──今日はそこを掘っていければと思ってるんですけど。まず、最近印象的だった話からしていいですかね?

増子 いいよ。

──ちょっと前に中村達也さんがバイオレントな騒動を起こしたとき、ツイッターで「暴力はよくない!」的なことをつぶやいてた人が「好きなバンドは怒髪天」って書いてたんですよ(笑)。

増子 ハハハハハハ! 怖いね(笑)。

──「えーっ! そこが伝わってないの?」って(笑)。

増子 怖い! いや、もうクリーンなイメージでいきたいから!

──でも増子さん、隠しごとは全然してないじゃないですか。よく「怒髪天なんて、どうせもともとが愚連隊みたいなもんなんだから」って言ってるし。

増子 そうだよ、名前を見ればわかる。

──自伝(2014年発売の『怒髪天 増子直純 自伝 歩きつづけるかぎり』)でも、あれだけ壮絶なエピソードを書いてる人なのに、なぜか悪いイメージがまったくないんですよ。

増子 ハハハハハハ! まあ、笑える程度の話だしね。あの自伝もたいへんだったよ。一番おもしろいとこだいたい3割カットだったから。

──残ってる部分でも、現状の出版常識ではありえないぐらいのこと書いてますよ。

増子 ありえない(笑)。あとの3割は俺が死んだら出そうかな。リリー(・フランキー)さんの番組に出たときもそうだったから。

──『真夜中』ですね。夏だから怖い話をするって企画で、ちゃんと怪談話をする人の後で怖い話じゃなくて怖い人の話をするのが最高すぎました!

増子 そうそうそう、リアルで怖い話をね(地元で有名なろくでなしが暴走族の集会の中にポメラニアンを抱いたまま突入し、「いちばんはやいバイクを貸せ」と命令。ポメラニアンを暴走族に預けて「泣かしたりしたら承知しねえぞ!」と言い残し、とんでもないスピードでバイクを走らせたら大事故に。血まみれで戻ってきたのに、「お前ら、犬を泣かせてないだろうな!」的なことしか言わなかったなどの話を、完璧な話術で次々と展開)。あれも6割ぐらいカットになったからね。

──あれがオンエアされてる時点でも異常でしたよ!

増子 ハハハハハハ! おもしろい話いっぱいあったんだけどね。ただ、あれでホントに思った。やっぱりいまはコンプライアンスで、あの程度の話でも嫌悪感というか「いや、あれはないんじゃないか」みたいに言う人もいるんだね。

──そんな反応があったんですか?

増子 いや、俺らの周りにはいないよ。でも、いろんなところから聞いた話だとあったみたい。


■死も覚悟したバンド休止期間のテキ屋時代

──ボクの周辺では「増子さんの話術はすげえ!」「最高!」って反応だけだったのに!

増子 あんなもん、ぜんぜん触りよ。武勇伝とかと違うからね、単純におもしろい話だから。そのへんの元ヤンキーとかが歳とってきて、「俺も若い頃は」みたいな、そういう武勇伝みたいなのと一緒にしてほしくないんだよね。似て非なるものどころか、まったく非なるものだよ。

──あれは「俺すごいだろ」話でもなんでもないですもんね。

増子 そう、あんなのなんてことないよ。

──怖い人の面白エピソードってだけで。

増子 怖い人っていうか、怖すぎておもしろくなっちゃうぐらい怖い人とかいるからね。

──それは北海道時代に?

増子 こっちにもいたよ。いろんな流れから、とあるところで見込まれてしまってえらいことになったっていうね。

──それは自伝でサラッと書いていた、テキ屋業の話ですか?

増子 そうそうそう、池袋でね。あれたいへんだったんだよ。俺が辞めさせてもらった次の週に、俺がいつも給料を取りに行ってた事務所に10発ぐらい撃ち込まれてたもんね。

──えぇっ!! 銃弾が?

増子 ハハハハハハ! 危なかったよ(笑)。

──それぐらいの緊迫した状況下で働いてたんですね……。

増子 そうそうそう、働いてたね。毎朝、家を出るときは死ぬんじゃねえかなって。侍じゃないけど、家を出るときは死を覚悟しとくっていうのがあるじゃん、『五輪書』かなんかで。あれと同じで、今日はもう帰ってこられねえかもな、みたいな。

──怒髪天を休んでる期間(96~99年)にそんな経験したら、そりゃあ人生観も変わりますよね。

増子 そうだね。バンド界隈の誰が強いとかってホントに子供の遊びだもんね。なかには何人か本物いるけど。

──一部、強い人もいるけれども。

増子 でも、ぜんぜん違うね。外の世界では日本ランカーに会った感じだから。東洋チャンピオンぐらいには会ってるね。

──前に元COLORのダイナマイト・トミーさんをインタビューしたとき、「ヴィジュアル系で誰が強いかって話はナンセンスで、それは草食動物のなかで何が強いかって言ってるようなもんだ」って言ってたんですけど、それに近いような発想ですよね。

増子 そうでしょ? でも、あそこらへんのなかでトミーさんがぶっちぎりだよね(笑)。

──そんなトミーさんが、いまアイドルの運営をやってチェキとか撮ってるわけですからね。

増子 そこらへんが一番本物っぽいよね。ちゃんと食い扶持になるものは分け隔てない、みたいな。そこらへんは素晴らしいと思うよ。

──何も知らないヲタに文句を言われてもちゃんとチェキを撮るっていう(笑)。

増子 そうそうそう。仕事とそれは別よっていう、そのスタンスは見習うべきところがあるよね。プライドを持ってる場所が違うっていうか。

──本当に怖い人は意外とそうですよね。

増子 うん。自分の矜恃っていうか、譲っちゃいけないところ。ここを割ったら死ぬかなっていうところを意識するかしないかによって生き方って変わるというか……それを意識すると楽になるよね。

──だいたいのことがOKになる。

増子 だいたいOKになるね。

──もう1回死んだぐらいの感覚でぜんぜん大丈夫っていう。

増子 そうだね、ぜんぜん大丈夫。だいたい1999年に1回死んで、そこからは余生だからね。

■人の食い扶持を潰したら自分の食い扶持も潰される

──ノストラダムスの大予言を信じてたせいで(笑)。

増子 そう、あれのせいでいろいろ狂ったからね。さんざん好きにやってきたの、もう終わりだろと思って。

──借金しようが何しようが大丈夫だと思ってたら。

増子 そう、33歳ぐらいだったから、ちょうど終わるだろうなと思ったら終わんないの。33からの余生ってけっこうすごいよね。ここからどうすんだろ、みたいな。取り返しつかないじゃん!

──いまさらまともな道に戻るっていうのも。

増子 そうそうそう。どうしようかなと思ってね。まあ、やれることと楽しいこと全部やろうかなと思って。そのぐらいだもんね。あとは特に何も考えちゃいないよ。

──そこで方向性が変わったから、どんなに物騒な話をしてもポップになるキャラクターになったんじゃないかって気がします。

増子 そうだね。基本、暴力は誰しもの隣にあるものだから。ホント、猛獣が放し飼いにされてるようなもんだよ、社会っていうのは。

──それに気づかない人が多いじゃないですか。

増子 そう。だから何を言ってるのかなって思うね。大人になるっていうか、社会に適合していくっていうか、ある程度譲ったりできる部分も大人になってどんどん増えていくじゃん。できれば優しくなりたいんだよね、人に対して。昔よりは許容範囲はすごい広がったと思うけど、いまだにダメだなって思うことも多々あるからね。

──スイッチが入ることはある。

増子 あるね。一昨年だっけ、一昨年っていったら49歳だからね。いつも行ってる焼肉屋で……。

スタッフ それ去年です。

──ダハハハハ! 50歳じゃないですか!

増子 去年か。嫁さんと焼肉を食ってたんだけど、話ができないぐらいうるさいの。学生みたいなのとオバチャンたちが宴会で酔っ払っちゃって。それ1時間半我慢したの。ちょっとずつそっち見たりしてるから、わかるだろうと思って。でも、ぜんぜんお構いなしで、そういうのわかってないんだよ。YouTuberにしてもそうじゃない、テキ屋のクジのヤツを暴いたりなんかしてるんでしょ? あれができるのってすげえなと思って。

──お祭りのくじ引きに当たりが入ってないんじゃないかってテキ屋に喧嘩を売ってる人がいましたけど、世の中には本当に怖い人がいるっていう発想がないんでしょうね。

増子 知らないよね。そうやって人の食い扶持を潰したら、自分の食い扶持も潰されるよ。それがわかってないじゃん。いま変にクリーンになってるからそういう部分をわかってないじゃん。だから、その焼肉屋でもずっと待ってたんだけどあまりにもうるさくて。俺もよく言われるんだけど、最初からトップギアでいっちゃいけないんだよね。俺のなかでは段階踏んでるけど、向こうからしたら急にトップギア入ってるからね。茶碗をぶん投げて「いい加減にしろ!」っつって。

──テレビで見たことある人が(笑)。

増子 嫁さんが「すごい口からお米を飛ばしてたよ」って。すごい怒っちゃったね。ただ、ぶん殴ったりはしないから。さすがに俺も大人だから。前だったらいってたかもしれないけど。こんなとこに焼肉の網なんてあったら、昔だったら再利用ですよ。

──ジャッキー・チェンばりに(笑)。

増子 いい具合に焼いてあるから(笑)。まあ、最初は向こうも酔っ払ってさんざん悪態ついてたんだけど、「いい加減にしろ!」って言ったら、結局は向こうも謝ってきてさ。店のお母さんも、「ホントに私が注意すればよかったのにすみません」って、割引券を渡されて帰らされちゃって。しまいには反対側にいたカップルに「……っていうか増子さんですよね?」みたいに言われて。

──やっぱりバレてた(笑)。

増子 「ホントすみません。ちょっと怒りすぎちゃったかなー」なんつって。そしたらもうひとり、別の席のサラリーマンが「お兄さんがいかなかったら俺がいってましたよ」って、漫画かよと思ってさ。「おまえ先に行けや!」なんつって(笑)。

──でも、そうやって平和な着地ができるぐらいにはなって。

増子 そうだね。ただ、よく行ってる焼肉屋に行きづらくなったっていう恐ろしい状況があるけど(笑)。

──その割引券も使いづらいですよね。

増子 特に使いづらい! だけど、そういうギリギリのところがおもしろかったりする、そのギリギリのラインがぜんぜんわかってない世代が多いっつうか、あれなんなんだろうね? 先輩とかで怖い人いなかったのかな?

■少年時代のヤンチャすぎるイタズラ

──ハードコアパンクとかが怖いものっていう前提がなくなっちゃってる世代ってあるじゃないですか。無邪気に本当に怖い人たちをネット上でイジッたりとか。

増子 考えられないよね。

──「シャレにならないことになるから気をつけなきゃ」ってことがわからない人たちが多くて。

増子 いわゆるアウトローっつうか、治外法権じゃないけど、法の外にいる人たちっているからね。それをわかってないというか。こないだDMBQ(実弟・増子真二のバンド)が久々にクアトロでやったときSTRUGGLE FOR PRIDEが出てて、今里(STRUGGLE FOR PRIDEのボーカル)に何年かぶりに会ったんだけど、今里が「増子さん、俺しばらく刑務所に入ってたとき、ラジオの時間にいっつも増子さんのラジオ聴いて励まされました。シャバに出てまた頑張ろうって思いました」って言われたんだけど、それに対してのコメントがないよね(笑)。

──刑務所に入ってる人って、AMラジオをけっこう聴いてくれるんですよね。

増子 そうそうそう。ほかの友達も言ってたよね、「刑務所でいつも流れてて、『これ俺の友達だ』って言ってすげえ鼻高かったよ」なんつってさ、「鼻高かったよ」じゃねえっつうの!

──今里さんも人当たりは柔らかいけど、怒らせたらいけない人だなっていうオーラが出てますよね。 

増子 そう、ただごとじゃない。不思議だよね。そういうところに当たらないで暮らしてこられるんだなって逆にビックリだね。

──増子さんはそこに積極的に当たりにいったタイプなんですか?

増子 積極的にいったわけじゃないよ。もともと育った地区っていうか、札幌のあのへんがホントにろくでもなかったからね。

──時代的に不良ブームでもあったし。

増子 そうだね。時代的プラス地域的なものがあったから。いまは住宅地としてすごい整備されてるけど、昔は人が住むところじゃないって言われてたところで。「線路を越えたら人が住むところじゃない」っていうぐらい土地が安かったの、雨が降ったら川が氾濫して。そこに家を建ててみんな住んでて、クラスの名簿なんて半分は片親だから。で、職業欄が書いてないっていうね。家に行ったらそれこそテキ屋の、若い衆が刺青をガッツリ入れたままゴロゴロしてるところを「おじゃましまーす」って、またいでそいつの部屋に行って遊んでるっていう状況だったから。

──それは暴力と隣り合わせの世界ですね……。

増子 そう、隣り合わせだった。でも、みんな優しいから、こっちも子供だし。むしろ金回りよくて奢ってくれたり。だから友達の苗字とか途中でバンバン替わるしさ。だけど、そういうほうがざっくばらんというか、隠しごともなく楽しく暮らしてたよね。高校に行って学区が変わるじゃん。あれで初めて自分の育った地区がひどいって知ったから。「あそこから来たの?」って言われて、そうだったのかと思って。たしかに考えたら遊びがふつうじゃなかったもんな。

──そりゃ虫ぐらい食べたりしますよね(増子さんは少年時代、虫を食べる根性だめしでクマンバチに泥をトッピングして食べて仲間に圧勝した過去あり)。

増子 そうそうそう。あと川にカップルが車を停めてて、車が揺れたりしてて。それを見つけたらみんなで車の上を走ってくの、ダダダーッて。「コラー!」って出てくるんだよね。「いまのあいつの姉ちゃんじゃね?」なんつって、多々あったね。

──それが小学校中学校ぐらいですか?

増子 そうだね。スナックとかもいっぱいあって、ワーッと盛り上がってるところに自転車で行って、スナックの外のブレーカー全部バチンバチンって端から落としていって、みんな大騒ぎしてるところをゲラゲラ笑いながら友達ん家に行って、帰りにまた落としてく。そういう毎日だったもんな。

■ライブで暴れたら誉められた

──そこにパンクが注入されたら、そりゃひどいことになりますよね。

増子 ひどいもんだよ!『爆裂都市』(監督/石井聰互)を観てちょっと勘違いしちゃったもんね。

──陣内孝則とザ・ルースターズとザ・スターリンと町田町蔵が出演していた伝説のパンク映画『爆裂都市』が、実は日本のパンク界に良くも悪くもすごい影響を与えてたりするんですよね。

増子 すごい影響を与えてると思う。

──「パンクはこういうものに違いない」って間違った解釈をしちゃった人たちが全国各地に出現したみたいなんですよね。あの映画のせいで日本全国で「ライブ潰し」っていう文化が生まれて(笑)。

増子 そう! 俺らも一番最初はそうだったしね。それでいいんだと思ってたから。「これは金もかかんねえしいいぞ!」なんつって。

──「ライブなんか乗っ取りゃいいんだ!」みたいな(笑)。

増子 そう、楽器もいらないし。ついでに持って帰ってきちゃうからね。札幌に駅裏8号倉庫っていうライブスペースがあって、倉庫なのよ。アート系とか演劇とかもできるところで、もともと国鉄の倉庫でレンガ造りなんだけど、下が土なの。そこがめちゃくちゃ安くて高校生のときに何回かやったんだけど、めちゃくちゃやればやるほど誉められるんだよ、そこのPAの人に。「君すごいよ、絶対続けたほうがいいよ!」って。それがエマーソン(北村)さんなんだけど、エマーソンさんが大学生のときにバイトしてたの。いままで暴れたら怒られてたのに、こんなことで誉められるのかと思って、これは向いてるなと思って。

──暴れたら誉められたからミュージシャンになった(笑)。

増子 そう、やればやるほどいいのか、パンクすげえと思って。それがだいぶ勘違いだったね。

──でも、これだけ続いてるわけですから間違ってはいなかったはずなんですよ。

増子 間違ってはいなかったね。ただ、東京出てきてビックリしたのは、バンドマンたちの学歴が、意外と早稲田とか出てたりするじゃん。

──もっとワーキングクラスかと思ったら。

増子 札幌から来てるのみんな高卒、中卒だからね。パンクバンドなんてそういうヤツらがやるもんだと思ってたからビックリした。「大学まで出てなんで仕事しないの?」っつって。ホントビックリしたね。音楽的にどうこうなんて考えたことなかったもんな。

──とりあえず激しいことがやれればいい。

増子 そうそうそう、あとフラストレーションだよね、言いたいこと言いまくって当たり散らせるっていうさ。パンクってそれじゃない。だんだんやっていくうちに思ったのは、いまこういうふうに怒ってるんですよっていうのを説明しがちだけど、本来まったくいらないんだよね。たとえば国に怒ってるとか、どっかの政治家に怒ってるとか、いろんなことがある。でも、「それどういう理由ですか?」って言われたら、「なんとなく気に食わねえ」でいいんだよ。

──アナーキーレベルでいいんですよね。

増子 そう! ホントそう!

──天皇制批判かと思ったら「♪頭くるぜまったくよ、タダ飯食ってのうのうと、いい家住んでのんびりと」「何が日本の●●だ、何にもしねえでふざけんな」程度だった『東京・イズ・バーニング』ぐらいの感じで。

増子 そう、特に思想はないっていうね。それでいいんだよ。そこを変に賢くなっちゃって、言ってることも理論武装じゃないけど、そういうふうになるとどんどんつまんなくなっちゃうよね。もっとバカで、その場の怒りに任せてるもののほうが美しいよね。

──わかります。深みのない主張ほどなぜか心に届いたりするんですよね。

増子 最高だよ! ただ腹立ってんだもん。それで十分なんだよね。怒ってることに自分で説明つけるなんちゅうのは、どっか冷静なんだよね。それはおもしろくないよな。

──それがパンクから学んだこと。

増子 そう、パンクから学んだことだね。結局バカなまんまっていうか、STAY GOLDじゃないけど、STAYバカだよね、ずっとバカでいるっていうかさ。バカでいるための努力をしなきゃいけないなんて思わなかったね。

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増子直純(ますこ・なおずみ)●1966年、北海道出身。1984年に札幌にて、自身がボーカルを務めるバンド怒髪天を結成。1991年にメジャーデビュー。1996~1999年の活動休止期間を経て、2004年に再びメジャーでのリリースを開始し、2014年には日本武道館ワンマン公演で大成功をおさめた。個人としても幅広い活動を行なっていて、関ジャニ∞「モンじゃい・ビート」やももいろクローバーZ「ももいろ太鼓どどんが節」など、提供した楽曲も多数。桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」やKIRINの「のどごし〈生〉」などのCMにも出演/歌唱していて、お茶の間での認知度も高い。現在、LIVE DVD&Blu-ray「怒髪天presents“響都ノ宴”10週年記念『夢十夜』」が好評発売中。

●ライブBlu-ray&DVD(+シングルCD)「怒髪天presents“響都ノ宴”10週年記念『夢十夜』」好評発売中

怒髪天の恒例企画「響都ノ宴」を初映像化。バンド結成の1984年から活動休止する1996年までのアーリー怒髪天イヤーズ。活動再開の1999年から2004年までの現在の怒髪天の礎となったフライハイトイヤーズ。2004〜2006年のちょっと濃い味アーリーテイチクイヤーズ。以上の3つの時期のライブ映像を収録!特典はドラムス坂詰克彦のソロセカンドシングルCD「待っているのよ」

Blu-ray:税別8000円(2枚組、CDシングルと特典映像付き)
DVD:税別7000円(3枚組、CDシングルと特典映像付き)