前回は『安倍政権の敵は野党より党内野党?後ろから容赦なく撃つ”懲りない面々』 (https://news-vision.jp/article/188163/)で派閥と党内野党の話をしましたが、今回は、派閥の歴史と派閥の持つ意味について語ろうと思います。

民進党と希望の党が4月12日、合流にむけた新党協議会を開き、理念や基本政策について大筋で合意しました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180412-00000074-mai-pol

人が3人以上集まれば、自然と派閥が生まれます。考え方を共有する人や近い人などが集まり、群れをなすわけです。そして、民主主義と多数決原則では、派閥による多数派工作が重要になり、これをうまくこなすことができる人物が組織のリーダーになるわけです。また、これをうまくこなすには、金や力、頭脳という能力も必要で、その地位を継続するのは日頃の努力も必要になります。これを人望と呼ぶ場合もあります。

政治の世界も同様で、これが政治を動かす非常に大きなファクターになるわけです。実は「ヤクザ」と「政治家(政党)」は、組織構造としてはほぼ類似系をとっています。

一次団体が党本部であり、二次団体が派閥です。そして、三次団体の組長が各議員であり、各議員は地方議員(幹部組員)と支持者(構成員)から成り立っています。そして、三次団体の組長は独立採算で、その上がりの一部を二次団体に上げ、一次団体にも上納金を納めています。同時に一次団体には二次団体や三次団体間の争いを納めると同時に、二次団体や三次団体が食べていけるように人や組織の力を与える責任もあるわけです。また、他の一次団体との間での戦いと縄張りの維持も一次団体の仕事です。そして、これが機能しなくなった時、組織崩壊が始まり、分裂を始めるわけです。これが起きたのが山口組であり、民主党の分裂騒動であったといえるのでしょう。

■盤石の一強政権は自民の左派・右派プリンス協力の賜物

さて、ここからは自民党の派閥について述べたいと思います。日本の政権与党である自民党も元々一枚岩ではありません。実は自由民主党は、社会党の拡大に危惧を持った保守政党が合併(保守合同)して生まれたものであり、その系図は今の派閥にもまだ生きています。吉田茂の自由党(保守本流)と鳩山一郎の日本民主党(保守傍流)、この流れは合従連衡を繰り返しながら、自民党左派(志公会や宏池会など)と自民党右派(清和政策研究会など)に引き継がれているわけです。そして、現在の安倍政権は、自民党左派のプリンス(麻生)と右派のプリンス(安倍)が手を組んで生まれた政権であり、平成版の保守合同ともいえるものなのです。

では、派閥の役割についてお話しします。かつて、中選挙区時代は同じ選挙区に自民党候補が複数立候補するのが当たり前でした。同じ選挙区で戦を交えるわけですから、陣営を組まなければ戦えません。ここにおいて派閥の果たした役割は大きかったわけです。派閥の領袖や幹部が自らの陣営の議員の応援に立ち、自民党の立候補者が共に血で血を洗う戦いをしていたわけです。しかし、小選挙区制度が導入されたことで、この役割は薄まり、無派閥議員が増えていったわけです。しかし、現在も尚、選挙の際、派閥の議員を当選させるのが派閥の領袖の役割であり、選挙の直接的な支援は派閥単位で行われているのです。

次回は時事ニュースをふまえながら、派閥の国会での主な役割についてお話しします。