いやいや、なかなか面白い指摘だねぇ。

日大の学長が、5月23日の内田前監督と井上コーチの会見における広報部の仕切りについて「同じ局なのに、3つ4つクルーが分かれていて、イラッとしたのでは」と、メディア側の取材姿勢にも問題があることをあげたんだ。テレビってのは、番組ごとに何人もクルーを派遣し、同じ質問をして別の映像を撮りたがり、当たり前だとさえ思っている。今回の一件には、そんな「閉鎖されたムラ」での常識の問題が根底にあるような気がするンだ。

“逆ギレ司会者”にも一分の理…アナウンサーは取材者なのか出演者なのか:スポーツ報知

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180526-00000053-sph-ent

今回の日大の対応はまずいという言葉以外、お話にならないの一言だ。ダイイチ選手が会見を開かなきゃならない状況に追い込まれるまで、いわば逃げ回っていた指導者たちにはあきれるばかりだ。スポーツの世界も近代的になっているのかと思っていたら、プロやトップの世界はいざ知らず、末端では相変わらず昭和っぽい習慣が続いてるということがよく解った。

オレも中高と弱小だが運動部に所属していた。その指導者であった恩師とは今でも付き合いがある。恩師が身体を壊されてからは、ちょいと一杯というわけにはいかなくなったが、今でもとってもいい関係だ。その恩師には本当にお世話になった。オレが曲がりなりにも拙著を上梓し、このような連載までやらせてもらえるような立場になれたのは、まぎれもなくこの恩師の薫陶があったからだと断言できる。心から感謝をしている。

ただ現役の時のオレはよく反発していた。正直その競技自体あまり興味がなく、今でも嫌いではないという程度の思い入れしかない。なぜ入部したのかといえば仲の良い友達もいたし、「なんとなく入っちゃった」に過ぎなかった。だからあまりやる気もなかったんだが、これまた単純なオレはやってるうちに何となく火がついちゃって、それなりに一生懸命やりだした。

ところが中心的な学年になってくると、おのずと指導が厳しくなる。とはいえ弱小だから今回の件とはケタ違いだとは思うが。そもそも興味がなく、やる気もいい加減なノリに過ぎなかったオレは、練習の厳しさが嫌だった。だから「やる気がないんだったら帰れっ!」との罵声に「はい、帰りますよ」ってな態度をとっていた。すると「なんで!帰るんだっ!」と怒られる。理不尽極まりないことだ。

でも卒業し恩師と酒を酌み交わす中で「いやぁお恥ずかしい。オレも若かったんだよ。すまなかった」との話で、大いに盛り上がり大笑いした。余談だが、合宿の時オレが隠れてたばこを吸ってるのを恩師が見ていたそうだが、見逃してくれたこともあったそうだ。お互い様だ。こちらこそお恥ずかしい。

その理不尽なことも卒業してからは感謝していた。それこそ社会に出たらその程度の理不尽は、当たり前だったからだ。それに対する耐性をつけてくれたんだと、前向きに解釈できるようになっていた。まぁ後日恩師に聞いたら、そこまで考えていなかったとのことだったんだがね。

■築地の常識も世間の非常識? ムラ社会の常識を疑うべし

ただこれは昭和の話。今では全く通用しないことだと思っていた。それが今回の件で、まだ当たり前のように続いていたことに少し驚いた。それにあの記者会見はひどいものだった。監督にしろあの司会者にしろ、まさに「井の中の蛙大海を知らず」というやつで、普段は閉鎖された学内で、それこそ王様として振る舞い、やりたい放題だったというのが透けて見えた。

しかしこのような閉鎖社会というのは日本国内にまだまだたくさんあると思う。かく言うオレが棲む築地市場も同様だと思った。日本は「ムラ社会の集合体」ってことがよく解る。

たまに「市場の常識=世間の非常識」といわれることもある。昨年テレビをつければどこでもやっていた、市場移転延期にあたってのスッタモンダの騒動もその一つだと思う。魚河岸連中の世間の狭さを感じた人も多かったと思う。

で、この記事にあるようにマスメディアも同じような状況なンだと思う。まさに「マスメディアの常識=世間の非常識」と思われるところもあるのだろう。

確かに映像的には現場にキャスター自身が出向き、直接インタビューをすることは抜群の「シズル感」を演出できる。視聴者への訴求力も高くなるのだろう。でも数字が取れるから、何でもいいってわけにはいかないんだと思う。

メディアのやってることも、大学側の「同じ質問を何度もするなっ!」という反発もわからなくはないが、お互いに程度の問題なんだと思う。

世間の目を感じ取り、世間の声に謙虚に耳を傾け、ほどほどにすることも大事なんだと思う。すごいスピードで情報が流される時代なンだからね。安っぽい演出はすぐにボロを出す。