そして1968年に建てられたのが現在の社殿である。たった50年ほどの歴史がない。吉原神社から少し離れた場所に建てられている『吉原弁財天』はそんな吉原の凄惨な歴史を慰霊している。
関東大震災の時には大火事になり、遊女たちが500人近く亡くなった。歩いてみると分かるが、吉原はそれほど広い場所ではない。この狭い範囲で500人も亡くなっていたのかと思うと驚愕だ。
また、第二次大戦中でも大火事になりやはり少なからず死亡者が出たという。
戦後すぐは、米兵のための慰安施設・RAA(特殊慰安施設協会)になった。暴力事件はしょっちゅう起こり、性病が広がったので1年足らずで禁止になった。戦後の暗部だ。
敷地の真ん中に作られた観音さまは、関東大震災の殉難者を慰霊している。山の周りにも様々な慰霊碑が建てられている。大量の卒塔婆もある。そんな歴史のある場所なので、吉原弁財天を心霊スポットだと言う人も多い。以前、霊能者を名乗る人が「ここはダメです!!」と言って大騒ぎしていたという。
僕は霊のたぐいは信じていないので、そういう霊能者を見ると問答無用でどつきたくなる。ただ、それでも吉原弁財天は奇妙な雰囲気のある神社だと思う。歩いているとなんだか不安な気持ちになっていく。
祀られていた弁財天は、江戸時代吉原で働く人達には信奉されていた。今でも弁天様(実際には市杵島姫命(イチキシマヒメ)、神仏習合において弁財天と同じとされた)が祀られている。
吉原のソープランドで働いている女性が、良い姿勢で手を合わせ丁寧に拝んでから出勤していた。なんだか清々しい気持ちになった。
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