■表現に挑戦するRADWIMPSが「HINOMARU」で挑んだタブー

大ヒット映画「君の名は。」の主題歌を歌った人気ロックバンド、RADWINPSの「HINOMARU」という曲が突然ネット上で騒ぎになったのは6月上旬だった。6月6日に発売されたシングルのカップリング曲、「HINOMARU」の歌詞へ一部のファンが批判したことが契機となり、サブカルチャーの領域で騒ぎが大きくなったのだが、擬古文調の言葉を歌詞に用いた新鮮な歌詞がしっとりしたメロディーと調和した、美しいバラードである。

そもそもRADWIMPSは、平成20年代(2010年代)に、それまでの日本のポピュラー音楽界が持っていたコード(規制・検閲)を壊そうとして来たグル-プだ。平成初期の1990年代にいわゆる〈澁谷系〉という音楽ムーブメントと同時にメジャー化したMr,Chirdrenの系譜にあるグループだが、それまで多くのミュージシャンが扱っていた〈日常性〉から、飛躍を試みる志向性を持っていた。

イントロでバスドラが二分音符と八分音符で太鼓のようにリズムを刻み、

《風にたなびくあの旗に いにしえよりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに》

と歌が始まる。なかなかいい曲だというのが最初の感想だ。ところが、なぜか歌詞が一部から批判にさらされる。その騒ぎが聴こえて来た時に最初に思ったのは、もしこの曲のタイトルが「HINOMARU」でなく、例えば「三色旗」や「星条旗」、あるいは「五星紅旗」、「太極旗」、「青天白日旗」だったらどうだったのか、ということだ。

騒ぎが大きくなったのは、ネットメディアの「ハフィントン・ポスト」が騒ぎを報じて、さらに〈メディア活動家〉を自称する津田大介という人物がツイッターで触れてからだ。そんな経緯を振り返ると、「HINOMARU」にまつわる騒動は火のない所に無理やり煙を立てた空騒ぎに過ぎなかった。無理やり騒ぎを起こすには、恣意的な意思が必要で〈どす黒い意思〉の気配を感じざるを得ない。

ここで指摘したいのは、RADWIMPSはこれまで音楽表現でTVでは放送コードに抵触し、放映できないような、たとえば「セックス」という言葉を歌詞に織り込むようなタブーへの挑戦を繰り返してきたバンドであることだ。つまり、「HINOMARU」にもそのようなタブーを恐れないクリエイターの意思が込められている。

では、そのタブーとは、いったい何か? そのタブーに言及しない「HINOMARU」への言説は前提から間違っていないのか、そんな視点が必要なのである。

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