■ゆずとRADWIMPSが敏感に感じ取った、日本を取り巻く”どす黒い空気”の正体

そこで思い出したのは、4月頃にやはり人気グループのゆずがリリースした「ガイコクジンノトモダチ」という曲が、やはり謎の批判にさらされたことである。「ガイコクジンノトモダチ」も実にいい曲で、明るい軽快な曲調でいながら、きつい皮肉や社会風刺を織り交ぜた近来ない名曲だ。

この曲も歌詞に出て来る「靖国の桜」が「明治神宮の桜」や「千鳥ヶ淵の桜」だったら、果たして騒ぎになったであろうか? 騒ぎの大きさは、コンサート妨害デモまで起きたRADWIMPSの「HINOMARU」の方が大きかったが、実は、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」の方が、社会風刺とメッセージ性という点ではインパクトが大きかった。

この二つの楽曲を嫌悪し、呪詛のような抗議まで起こした人たちは、その差異にも気づかなかったのかも知れない。抗議の度合いを間違えている。そんなピント外れが、この問題を取り巻く朝日新聞など批判報道の本質であり、日本人を圧殺する〈どす黒い意思〉が隠されたままになっている。

逆に言えば、ゆすとRADWIMPSが歌ったこれらの曲は、日本人を抑圧する同調圧力や全体主義的な空気を敏感に感じ取ったミュージシャンが、そんな抑圧システムへささやかな抵抗を試みたということだ。彼らが〈どす黒い意思〉を意識したかどうかは関係ない。ただ、アーティストの鋭敏なアンテナだからこそ、どす黒い存在を感知し得た結果なのである。

RADWIMPSの「HINOMARU」を巡って、朝日新聞が6月14日付け紙面で《RADWINPS新曲が投げかける「愛国」》という署名記事を掲載し、産経新聞文化部の桑原聡が6月22日付けのオピニオン紙面に《SNS上の空騒ぎ》という論考を執筆した。また。東京新聞の6月28日付け論壇時評は中島岳志が《RADWIMPSの愛国ソング 日本語論より動機考察を》というタイトルで取り上げ、雑誌『正論』9月号(8月1日発売)は「特集・表現の自由」で《音楽業界の言葉狩りはチャンチャラおかしい》という、つるの剛士、つのだひろ、先崎彰容の座談会、《「政治的な正しさ」をエンタメ・芸術に求めるのは正しいか》という三浦小太郎の論考を掲載した。

このように空疎な「モリカケ問題」とは別に、実は秘かに音楽への言論弾圧問題は焦点になっている。次回はそれぞれの論考から〈どす黒い意思〉の正体を明らかにしたい。