16世紀の典型的なモスクの建築様式を採用すると同時に、18世紀に流行したバロック様式もモスク内にあるカリグラフィー(イスラム書道)や説教壇に取り入れられました。
このように、メフメト2世が建てたモスクの痕跡はほぼ残っていませんが、メッカの方向を示すミフラーブは当初のものがいまでも使われています。550年前の征服王もこのミフラーブを見て祈りの時間を過ごしていたとは、なんとも感慨深いものです。
メフメト2世の棺はモスクの敷地内に安置されており、彼の死後から500年以上経った現在でも、魂の平安を祈るために連日多くの人が訪れます。
メフメト2世がコンスタンティノープルを攻略して以来、この街はオスマン帝国が崩壊するまで帝都として栄えました。いまでこそイスタンブールはトルコ共和国の首都ではないものの、世界中の多くの人が魅力されて訪れる国内最大の都市として栄え続けています。
征服王メフメト2世は、今日もイスタンブールの丘の上からこの街の平和とさらなる繁栄を祈っていることでしょう。
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名前 ファーティフ・ジャーミィ(Fatih Camii)
所在地 Ali Kuşçu, Fatih Türbesi Sk. No:1, 34083 Fatih/İstanbul
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