街全体が世界遺産に登録されている、トルコ最大の都市イスタンブールの旧市街。この旧市街には、スルタンや皇妃、皇女が造らせた、オスマン帝国時代の歴史あるモスクが数多く残されています。その中に、バヤジット2世の時代に活躍した大宰相、アティク・アリ・パシャが造らせたモスクがあります。

このモスクは、トラムのチェンベルリタシュ駅のすぐ目の前にあり、旧市街の観光名所にもなっているグランド・バザールにも隣接しているため、旧市街に数あるモスクの中でも非常によく目立つものの一つなのです。しかし、このモスクの建設を命じたアティク・アリ・パシャについては、実はあまり知られていません。「ガズィ(戦士)」の称号を得たアティク・アリ・パシャは、一体どのような人物なのでしょうか。

アティク・アリ・パシャは現在のボスニアにあるドロズゴメトヴァ(Drozgometva)という小さな村で生まれました。14世紀からオスマン帝国で始まったデヴシルメという徴用制度で帝都イスタンブールに連れてこられ、イスラム教に改宗させられ、将来帝国に仕えることができるように教育されました。

ハドゥム(宦官)という称号でも親しまれていたことから、政治家として活躍するまでは、オスマン帝国のハレムでスルタンの世話役をしていたことが分かります。

政治家として頭角を現してからは、当時ルメリ州と呼ばれていたバルカン半島周辺を治める官職に就きました。1485年から6年ほど続いた対マムルーク朝との戦争ではオスマン軍を主導し、軍人としても活躍しました。

功績がスルタンに認められ、1501年から1511年まで、半ば6年ほどの離職期間はあったものの、亡くなるまで大宰相として帝国の繁栄に貢献しました。大宰相とは、オスマン帝国においてスルタンの次に権力を持つとされる、官職の最高位のことです。

小さな村で生まれて大宰相にまで登りつめたアリ・パシャの存命中の活躍の中で最も著名なものといえば、アナトリアで起きたシャークルの反乱の抑制に尽力したことでしょう。

バヤジット2世の時代、オスマン帝国とサファヴィー朝との関係は友好的なものでしたが、やがてサファヴィー朝はオスマン帝国領に進出する準備を始めます。サファヴィー朝は、オスマン帝国のアナトリアでシーア派の布教を始め、1511年にサファヴィー朝のシャー(王)の奴隷「シャークル」を名乗る者が反乱を起こしたのです。バヤジット2世が推進する厳格なイスラームの教えや、オスマン帝国で確立されつつあるスンニ派に反対する民衆も反乱に加わり、静観していたバヤジット2世もこれにはさすがに危機感を募らせ、大宰相アリ・パシャに反乱の鎮静を命じたのです。

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