岐阜市のシンボルである金華山の山頂にそびえる、斎藤道三・織田信長の居城として有名な岐阜城。かつては「稲葉山城」と呼ばれていましたが、1567年に織田信長によって攻略され、この地方一帯の地名も「井の口」から「岐阜」に改称されました。「岐阜」という地名は、織田信長が尾張の禅僧である沢彦宗音の進言を受けて選んだと言われています。
岐阜城のほかにも、日本一大きな乾漆仏である岐阜大仏(正法寺)、長良川の鵜飼、長良川温泉、川原町の古いまちなみなど、見どころがたくさんの岐阜。そんな岐阜の魅力の一つが、長年にわたり受け継がれてきた技術や技法により作られる「伝統的工芸品」です。
岐阜和傘や岐阜提灯といった伝統的工芸品が盛んになったのは、原材料となる美濃和紙が長良川の水運で入ってきたり、竹が豊富にあったりという地形的・歴史的な背景があります。岐阜和傘、岐阜提灯、美濃焼の創作箸置きの製造元を訪ね、それぞれの工芸品の魅力を聞きました。
【岐阜和傘】マルト藤沢商店(岐阜市)岐阜和傘は、1639年(寛永16年)に、松平丹波守光重が播州明石から岐阜市加納に移封されたとき、一緒に傘職人を連れてきたのが始まりと伝えられ、江戸時代に主要な産業の一つとして確立しました。明治維新後は、国内外で開催された博覧会への出展を通じて技術の向上に取り組み、多岐にわたる工程を分業で行うことで大量生産を可能にして、一大産地となりました。
全盛期には600軒もの傘屋が岐阜市加納地区に存在し、岐阜市加納地区の原風景「和傘の天日干し」が見られたそうですが、現在では和傘製造業者は数軒に減り、雨傘の生産本数も少なくなったことや、仕上げ職人も数人になってしまったといいます。
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