ルターは「ユンカー・イェルク(騎士ゲオルク)」の偽名を使い、外見を変えるために髭や髪を伸ばし、1521年5月4日からのおよそ10ヵ月間を質素な小部屋で過ごしました。

ここでの生活は精神的な試練であった一方、思索と著作に専念できる環境でもありました。ヴァルトブルク城の一室に身を隠していたあいだ、ルターはギリシア語のオリジナルテキストを元に、わずか10ヵ月で新約聖書のドイツ語訳を完成させたのです。

1522年3月、ルターはヴァルトブルク城を後にし、同年9月にはすでにドイツ語の新約聖書の初版が、さらに12月には改訂版が発行されました。

神聖ローマ帝国の人口およそ1500万人の大半が読み書きのできなかった時代、ルターの聖書は100万部も印刷され、空前のベストセラーになったのです。

民衆が理解できる表現を心がけたルターの聖書は、「ドイツ民族の第一の書物」とみなされるまでになり、近代ドイツ語の統一に大きな影響を与えたといわれています。

そんな歴史的偉業が成し遂げられた部屋は、「ルターの部屋」として、今も大切に保存されています。

ルターの部屋は「エリザベートの間」や「祝宴の間」などの豪華な広間があるエリアとは隔てられた、博物館部門に残されています。ギシギシと音を立てる風情ある廊下の先に、かつてルターが隠れ住んでいた部屋があると思うとドキドキせずにはいられません。

「ルターの部屋」は、城の北端にある小さな部屋で、きわめて簡素な空間に椅子やテーブル、ストーブなど必要最低限の家具や調度品が置かれています。

いくらストーブがあるとはいえ、山の上の簡素な部屋は冬になるとさぞ寒かったことでしょう。テーブルは1600年以前のもので、「ルターの椅子」は19世紀のコピーです。

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